日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒沢隆」の意味・わかりやすい解説
黒沢隆
くろさわたかし
(1941―2014)
建築家。東京生まれ。1965年(昭和40)日本大学理工学部卒業後、1967年まで東京大学教養学部で研究生として生田勉(1912―1980)に師事。その後、日本大学大学院理工学研究科に進み、1971年博士課程修了。大学院在学中より近代建築史やデザイン論を講義。1973年建築設計事務所、黒沢隆研究室を開設。現代の生活形態に応じた新しい住まいのあり方としての「個室群住居」という概念を提示したことで知られる。黒沢が個室群住居を考案するに至った背景には、近代の建築計画学が基本に据えていたような人々の生活形態そのものが変化し、その実効性がすでに薄れてしまっていたという事実があった。たとえば黒沢は、女性の社会進出による共稼ぎ世帯の急増や、少子化・核家族化による家庭のあり方の質的、構造的変化が、2人1組の夫婦という主体を中心に据えた家族形態によるものから、妻と夫それぞれを独立した個別の主体とするような生活形態へと家族を変質させ、「夫婦=家族」という概念がすっかり変化してしまった現実に着目する。そして「居間+夫婦の寝室+子供部屋」を構成原理とする近代住居は、変容した現代家族のあり方にもはやそぐわないことを指摘する。ここから、「私」を単位とする住居のあり方、「個室」の集合によって構成される住居「個室群住居」が導き出される。1960年代末に発表された、家族の人数分だけの個室をもったひとまとまりの空間こそが現代の住居の一般解であるというこの住宅観は、ホシカワ・キュービクル(1976)、セイビグリーン・ビレッジ(1983)、コリン・キ・ソンヌ(1987)などの住宅として結実した。
この個室群住居という考え方には、ややもすると独房式の監獄の形式と似ている部分もある。そもそも近代に考案された監獄という建築の形式そのものが、必ずしも犯罪者を社会から隔離するための施設としてではなく、むしろ人々を社会のルールに適応させるための教育施設として考えられていたことを考慮に入れれば、個室群住居の考え方が監獄の形式と似ている部分があるとしても不思議ではない。この個室群住居の考え方は、後続の建築家たちの設計思想に対して大きな影響を及ぼしている。
[堀井義博]
『『住宅の逆説第一集――あるいは技術思想としての居住』(1976・レオナルドの飛行機出版会)』▽『『陰りゆく近代建築――近代建築論ノート』(1979・彰国社)』▽『『建築家の休日――モノの向こうに人が見える』正・続(1987、1990・丸善)』▽『『近代=時代のなかの住居』(1993・メディアファクトリー)』▽『『個室群住居――崩壊する近代家族と建築的課題 住まい学体系88』(1997・住まいの図書館出版局)』▽『『集合住宅原論の試み』(1998・鹿島出版会)』▽『黒沢隆ほか著『住宅の逆説第三集――日常へ、あるいは近代住居の内部構造』(1977・レオナルドの飛行機出版会)』