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黒田辰秋 くろだ たつあき

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美術人名辞典の解説

黒田辰秋

木工・漆芸作家。京都生。漆匠の父亀吉に学ぶが、漆芸制作の分業制に疑問を抱き、作家として一貫制作を志した。柳宗悦らの民芸運動に共鳴、昭和2年に上賀茂民芸協団を組織する。刳物・指物などの木工とともに乾漆や螺鈿などの漆芸を駆使して、重厚な独自の作風を確立した。昭和43年には皇居新宮殿調度品を制作している。日本民芸協会会員。日本工芸会理事。人間国宝。昭和57年(1982)歿、77才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

黒田辰秋 くろだ-たつあき

1904-1982 昭和時代の木工芸家。
明治37年9月21日生まれ。生家は塗師(ぬし)屋。父のもとで木工芸,漆芸の技術を修得。河井寛次郎,柳宗悦(むねよし)らの民芸運動に参加し,昭和2年上賀茂(かみかも)民芸協団を創立。43年皇居新宮殿の調度品を制作した。45年人間国宝。昭和57年6月4日死去。77歳。京都出身。

出典|講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

黒田辰秋
くろだたつあき
(1904―1982)

木・漆工家。京都市祇園(ぎおん)清井町に父亀吉、母まつの六男として生まれる。塗師の父のもとで木工、漆工の技術を習得、20歳のとき河井寛次郎と知り合い、柳宗悦(やなぎむねよし)のもとで民芸運動に参加するようになり、とくに李朝(りちょう)木工品や螺鈿(らでん)器に興味をもった。1930年(昭和5)国画会工芸部へ無鑑査で出品、以後たびたび出品する。54年(昭和29)日本工芸会理事に就任、第2回日本伝統工芸展(1955)以来、同展に出品する。70年4月重要無形文化財「木工芸」保持者に認定。作風は木理の美を生かした単純・豪壮な器形、また絢爛(けんらん)たる螺鈿の加飾表現に特色があった。[郷家忠臣]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の黒田辰秋の言及

【明治・大正時代美術】より

…帝展系工芸と民芸とは無縁だと思われがちだが,もともと両者は,明治の功利主義的精神が築いてきた近代日本文化に対する対蹠的反応だったといえる。 運動の指導者だった柳宗悦は,1926年に富本憲吉,河井寛次郎,浜田庄司らの陶芸家と連名で,〈日本民芸美術館設立趣意書〉を発表して運動を思想的に方向づけ,27年に染織の青田五良(1898‐1935),木工の黒田辰秋(たつあき)(1904‐82)らと上賀茂民芸協団を結成して,その思想を実践に移した。イギリスの工芸家W.モリスの影響を受けていた柳の思想においては,かつての日常雑器に見られた美を基準にして,今日の生活用品を生産することが本来の目的だったからである。…

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出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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