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河井寛次郎 かわい かんじろう

美術人名辞典の解説

河井寛次郎

陶芸家。島根県生。東京高等工業学校窯業科、京都陶磁器試験所に学ぶ。京都五条坂に窯を築き、中国・朝鮮の古陶磁にヒントを得ながら、独自の技法作風を創りあげる。柳宗悦らと民芸運動を推進、「用の美」を追求した重厚・素朴な作風で、近代陶芸の新境地を開いた。ミラノ国際展大賞受賞。昭和41年(1966)歿、67才。

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デジタル大辞泉の解説

かわい‐かんじろう〔かはゐクワンジラウ〕【河井寛次郎】

[1890~1966]陶芸家。島根の生まれ。柳宗悦(やなぎむねよし)・浜田庄司らと民芸運動を興した。素朴で重厚な作風で、釉(うわぐすり)に特色がある。

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百科事典マイペディアの解説

河井寛次郎【かわいかんじろう】

陶芸家。島根県安来(やすぎ)生れ。東京高等工業学校卒。B.リーチの作品に感銘を受け,浜田庄司富本憲吉らとともに柳宗悦民芸運動に参加。京都五条坂で制作,民芸風の陶磁に新分野を開いた。
→関連項目足立美術館京都国立近代美術館棟方志功

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

河井寛次郎 かわい-かんじろう

1890-1966 大正-昭和時代の陶芸家。
明治23年8月24日生まれ。京都市立陶磁器試験場にまなび,京都五条坂に窯をきずく。柳宗悦(むねよし)の民芸運動に参加。変化にとむ器形や釉法を特徴とし,昭和12年パリ万博,32年ミラノ-トリエンナーレ展でグランプリを受賞。昭和41年11月18日死去。76歳。島根県出身。東京高工(現東京工業大)卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

かわいかんじろう【河井寛次郎】

1890‐1966(明治23‐昭和41)
陶芸家。島根県安来に生まれる。1914年東京高等工業学校窯業科を卒業後,京都市立陶磁器試験場に入り,後輩の浜田庄司と約1万種類の釉薬の試験焼きをする。20年京都五条坂に鐘渓窯を築いて独立。24年柳宗悦を知ってその民芸論に共鳴,浜田庄司らと民芸運動に挺身するようになる。日本各地をはじめ,沖縄,朝鮮,満州(中国東北地区)などを同志とともに旅し,民芸品を探訪した。作風は,初め中国,朝鮮の古陶に基盤を置くものが多かったが,50年ころからは,貼付陶文,筒描,色釉打薬(うちぐすり)などの技法を駆使した自由奔放で個性豊かなものとなった。

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大辞林 第三版の解説

かわいかんじろう【河井寛次郎】

1890~1966) 陶芸家。島根県生まれ。京都五条に鐘渓窯を築き陶芸に従事。柳宗悦・浜田庄司らの民芸運動に参加し、素朴で重厚な作品を残す。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

河井寛次郎
かわいかんじろう

[生]1890.8.24. 島根,安来
[没]1966.11.18. 京都
陶芸家。 1914年東京高等工業学校窯業科を卒業,京都陶磁器試験所に勤務,同所で浜田庄司と知り合った。 1920年京都五条坂に鐘渓窯を築いて独立。 1923年頃までは中国,朝鮮の古陶磁の手法を追った作品が多かったが,1925年頃から古民芸品の美に目ざめて,浜田庄司,柳宗悦とともに民芸運動を起こした。同時に日本やイギリスの古民芸品の美を自己の制作にも生かし,素朴でたくましい形態と多彩な釉法の奔放な駆使とによって,日常の用途にあてる器物を次々に発表。第2次世界大戦後は,機械製作と手仕事の融合,泥刷毛目の手法,三彩打薬などを工夫。主要作品『青磁せん血文花へい (せいじせんけつもんかへい) 』 (1924) ,『鉄絵辰砂 (しんしゃ) 草花丸文壺』 (1937年パリ万国博覧会でグランプリ受賞) ,『花文菱形扁壺』 (1957年ミラノのトリエンナーレでグランプリ受賞) ,『打薬扁壺』 (1962) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

河井寛次郎
かわいかんじろう
(1890―1966)

陶芸作家。島根県安来(やすぎ)の生まれ。東京高等工業学校窯業科を卒業して京都市立陶磁器試験所に入り、ここで浜田庄司(しょうじ)を知る。1920年(大正9)に京都市五条坂に開窯し、翌年の個展において大いに注目された。初め中国・朝鮮の古陶磁の技法に倣ったが、反省し、24年に浜田の仲介を受けて柳宗悦(むねよし)を知り、いわゆる民芸へと傾斜していった。以後、浜田と民芸派陶工の双璧(そうへき)をなし、翌年民芸美術館の設立運動が具体化すると参加し、その作陶成果は29年(昭和4)に東京・高島屋での個展で発表された。黒褐釉(ゆう)、鉄絵、辰砂(しんしゃ)、染付、白化粧土、低火度な鉛釉などを使って奔放自在な草花や動物文を表した重厚な日常器皿がそのねらうところであり、民芸の具体像を完成させた。[矢部良明]
『『河井寛次郎作品集』(1980・朝日新聞社) ▽乾由明編『現代日本陶芸全集4 河井寛次郎』(1980・集英社)』

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