幕末の福岡藩主。文化(ぶんか)8年3月1日、薩摩(さつま)藩主島津重豪(しげひで)の九男として江戸高輪(たかなわ)邸に生まれる。1822年(文政5)12歳のとき黒田斉清(なりきよ)の養子となり、34年(天保5)藩主となる。藩政改革に力を入れ、また蘭学(らんがく)を好み文政(ぶんせい)期には斉清とともに長崎でシーボルトに会見。ペリー来航に際しては幕府の諮問に答えて開国を主張した。62年(文久2)公武周旋のため上京。64年(元治1)禁門の変後は幕府と長州藩との斡旋(あっせん)に努めたが、65年(慶応1)加藤司書ら勤王派を弾圧、以後佐幕的立場をとり明治維新を迎えた。69年(明治2)59歳で隠居。明治20年3月7日東京で没した。77歳。
[柴多一雄]
(岩下哲典)
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…筑前国(福岡県)福岡に藩庁を置いた外様大藩。1587年(天正15)小早川隆景が筑前一国および筑後2郡,肥前2郡,高30万石余を与えられ,粕屋郡名島に居城を定めたのが始まりである。98年(慶長3)秀秋が越前国北ノ庄に移され,筑前は豊臣秀吉の直轄領(太閤蔵入地)となったが,99年には再び秀秋が復帰した。関ヶ原の戦(1600)の後,秀秋の岡山移封のあとをうけて豊前国中津の黒田長政が怡土(いと)郡の西半分を除くほぼ筑前一国を与えられて入部した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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