龍穏寺(読み)りゆうおんじ

日本歴史地名大系 「龍穏寺」の解説

龍穏寺
りゆうおんじ

[現在地名]越生町龍ヶ谷

たつ(龍穏寺川)左岸に位置する。長昌山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。江戸時代には下総総寧そうねい(現千葉県市川市)・下野大中だいちゆう(現栃木県大平町)とともに曹洞宗の大僧録関東三ヵ寺(関三刹)の一として関東の宗内寺院を統括する僧録司の地位にあった。

〔創建〕

天文一二年(一五四三)に節庵によって記された長昌山龍穏寺境地因縁記(寺蔵文書)によれば、龍ヶ谷の地は平安時代天台宗慈光寺(現都幾川村)系の修験者によって開かれ、古くは堂宇道沢どうさわ(堂沢)にあって瑞雲山長昌ちようしよう寺と称したという。永享二年(一四三〇)将軍足利義教が開基となり、尊氏以来の足利家歴代の冥福と、戦乱で没した人々の供養のため関東上杉氏(扇谷上杉持朝か)に命じて伽藍を再興させ、無極を開山としたという。無極は相模最乗さいじよう(現神奈川県南足柄市)開山の了庵の弟子で、児玉党出自という。同年のうちに無極が没し、門弟の月江が継承した。しかし月江の代に兵火にかかり月江が美濃国補陀ほだ(現不詳)に転住したこともあり、当寺は衰退した。文明四年(一四七二)扇谷上杉氏の家宰であった太田道真・道灌父子が足利義教の三十三回忌にあたって伽藍を再建、泰叟(三世)中興開山となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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