デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「肥前忠吉(初代)」の解説
肥前忠吉(初代) ひぜん-ただよし
元亀(げんき)3年生まれ。肥前佐賀藩工となり,京都の埋忠明寿(うめただ-みょうじゅ)にまなぶ。元和(げんな)10年武蔵大掾(むさしのだいじょう)をさずけられ忠広と改名。直刃(すぐは)を得意とした。寛永9年8月15日死去。61歳。姓は橋本。通称は新左衛門。
肥前忠吉(2代) ひぜん-ただよし
慶長19年生まれ。初代肥前忠吉の長男。肥前佐賀藩の御用刀工。寛永9年父の没後,忠広をつぐ。18年近江大掾(おうみのだいじょう)をさずかる。作刀には「肥前国近江大掾藤原忠広」の銘がきってある。元禄(げんろく)6年5月28日死去。80歳。通称は平作郎。
肥前忠吉(3代) ひぜん-ただよし
寛永14年生まれ。2代肥前忠吉の子。肥前佐賀藩の御用刀工。万治(まんじ)3年陸奥大掾(むつのだいじょう)をさずけられ,のち陸奥守(かみ)となった。貞享(じょうきょう)3年1月2日死去。50歳。通称は新三郎。