ビレラ(英語表記)Vilela, Gaspar

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ビレラ
Vilela, Gaspar

[生]1525頃
[没]1572. ゴア
ポルトガルのイエズス会宣教師。弘治2 (1556) 年7月ゴアから豊後に到着し,初め平戸付近に伝道。永禄2 (59) 年京都におもむき極貧と戦いながら布教に尽し,同3年将軍足利義輝に謁見して布教許可を得,おもに畿内の布教に従った。同5年以後堺を布教の拠点として活躍。結城忠正親子,高山図書およびその子右近の改宗の端緒を開いた。同 10年豊後に移り,元亀2 (71) 年インドに去った。その書簡は『耶蘇会士日本通信』に収められている。

ビレラ
Villella, Edward Joseph

[生]1936.10.1. ロングアイランド
アメリカの舞踊家。アメリカン・バレエ学校に学び,1957年ニューヨーク・シティー・バレエ団に入り,同年 J.ロビンズの『牧神の午後』でデビュー。『インタープレイ』『ウェスタン・シンフォニー』などを踊ったが,特に 60年に踊った G.バランシンの『放蕩息子』は彼の名声を決定的なものにした。ミュージカルやテレビ番組でも主演したのち,オクラホマ・バレエ団の監督などを経て,86年マイアミ・シティー・バレエ団を創立,芸術監督に就任した。

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百科事典マイペディアの解説

ビレラ

ポルトガル人宣教師イエズス会士。1556年来日。豊後(ぶんご)府内,平戸布教後1559年京都に移って京都,堺,奈良を中心に布教。1566年九州に戻り壱岐(いき)・長崎・福山に布教。1570年身体衰弱を理由にインドに赴き,同地で没した。その書簡は《耶蘇(やそ)会士日本通信》に収められている。
→関連項目宣教師南蛮寺

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ビレラ Vilela, Gaspar

?-1572 ポルトガルの宣教師。
イエズス会士。弘治(こうじ)2年(1556)豊後(ぶんご)(大分県)府内に渡来。永禄(えいろく)2年日本人修道士ロレンソらをともない京都にいく。将軍足利義輝の許可をえて伝道をはじめる。結城(ゆうき)忠正,高山図書(ずしょ)・右近親子らを改宗させ,畿内(きない)布教の基礎をきずいた。元亀(げんき)元年(1570)離日,1572年ゴアで没した。

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大辞林 第三版の解説

ビレラ【Gaspar Vilela】

?~1570?) ポルトガルのイエズス会士。1556年来日し、豊後・平戸・京都・堺などで布教。高山右近らに授洗。マラッカで没。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ビレラ
びれら
Gaspard Vilela
(?―1572)

ポルトガル出身のイエズス会士。1556年(弘治2)来日し、府内(大分県)、平戸(ひらど)(長崎県)で布教ののち、1559年(永禄2)日本布教長トルレスの命により上洛(じょうらく)、翌1560年将軍足利義輝(あしかがよしてる)から布教の許可を得た。仏僧の圧迫を受けて堺(さかい)に避難したが、のち京都に帰り、奈良に布教。1560年代に京都を中心に近畿方面布教の基礎を築き、高山図書(たかやまずしょ)(?―1596)・右近(うこん)父子らに強く感化を与えた。1565年松永久秀・三好義継(1549―1573)の乱のため都を去り、後年は長崎地方の伝道に尽力したが、1570年(元亀1)衰弱のため離日、マラッカで没した。[藤川 徹]
『ジョアン・ロドリーゲス著、池上岑夫他訳『大航海時代叢書第10 日本教会史 下巻』(1970・岩波書店) ▽ルイス・フロイス著、柳谷武夫訳『日本史 第1巻』(平凡社・東洋文庫)』

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