エリザベス(読み)えりざべす(その他表記)Elizabeth Ⅰ

デジタル大辞泉 「エリザベス」の意味・読み・例文・類語

エリザベス【Elizabeth】[人名]

(1世)[1533~1603]イングランド女王。在位1558~1603。ヘンリー8世の娘。前代までのカトリックを廃し、新教のイギリス国教会を確立。スペインの無敵艦隊を破って海外発展を果たすなど、イギリス絶対主義の最盛期を築いた。シェークスピアベーコンなど多くの文人が出たので、文芸上、エリザベス朝として名高い。生涯独身を通し、チューダー朝最後の王となった。
(2世)[1926~2022]英国王。ジョージ6世の第1王女。1947年、エジンバラ公と結婚。1952年に即位。1953年、戴冠たいかん式を行った。

エリザベス【Elizabeth】[地名]

米国ニュージャージー州北東部の都市。ニューアーク湾に面する。幹線鉄道、高速道路が通じる交通の要地で、ニューアークリバティ国際空港に隣接。ミシン、鋳物をはじめ、各種製造業が盛んだった。プリンストン大学の前身であるニュージャージーカレッジの創立地。

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精選版 日本国語大辞典 「エリザベス」の意味・読み・例文・類語

エリザベス

  1. ( Elizabeth ) ( 一世 ) イングランドの女王(在位一五五八‐一六〇三)。ヘンリー八世とアン=ブーレンの子。首長令、統一令を発布してイギリス国教会を確立。スペインの無敵艦隊を破って海上の覇権を握り、世界的商業国としての道を開いた。また、多数の植民地をつくる基礎を築き、「エリザベス時代」として一つの時代を画した。(一五三三‐一六〇三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エリザベス」の意味・わかりやすい解説

エリザベス(1世)
えりざべす
Elizabeth Ⅰ
(1533―1603)

イギリスのチューダー朝5代目の女王(在位1558~1603)。愛称は「よき女王ベス」。9月7日に生まれる。父はヘンリー8世、母はアン・ブリン。幼少時から怜悧(れいり)で、父王の寵愛(ちょうあい)を受ける。アスカムRoger Ascham(1515―1568)らについて人文主義の学問を修め、みごとな熟達度を示して、ルネサンス型君主の素地をつくった。フランス語、イタリア語なども早くから学習、自由に駆使できるだけの能力を備えた。3歳未満で生母を失い、同時に非嫡子とされる。1543年の議会制定法により、王位継承権を回復。弟エドワード6世の治世では、摂政サマーセット公Edward Seymour, 1st Duke of Somerset(1500/1506―1552)の弟シーモアThomas Seymour(1508?―1549)の陰謀に関係ありとみられ、姉メアリーのときにはワイアットThomas Wyatt(1521?―1554)の反乱に加担したとの嫌疑を受けて、苦境に陥る。1558年11月、姉死去の報をハットフィールド宮で入手、3日後に最初の枢密会議、セシルを秘書官長に任命、11月末ロンドン帰還、翌1559年1月戴冠(たいかん)式を挙行、かくてエリザベスの治世が始まる。それはおおむね3時期に区分される。

[植村雅彦]

体制樹立期(即位時~1572年)

1559年の「国王至上法」と「礼拝統一法」をもって父王が樹立したイングランド教会を再建、国民の最大多数を帰服させるため中道主義をとった。1563年には「三十九か条」を制定、公布して、国教会の教義的立場を明らかにした。外交面では、前女王以来の対フランス戦争に終結をもたらした(1559年4月)が、カレーの譲渡を余儀なくされた。その回復を図る意図もあって、1562年秋から翌年夏まで、ユグノー支援のためフランスに派兵したが、結局目的を果たさずに終わった。スコットランドでは、カルバン主義者の扇動に発した反乱に武力介入、エジンバラ条約を成立させて、フランスの勢力を一掃し、ブリテン島統一の礎(いしずえ)を築いた。夫のフランス王の死後フランスからスコットランドに帰国したメアリー・スチュアートは、エリザベスとの対立意識が強烈だったが、不倫の恋が災いしてイギリスに亡命(1568年5月)、生涯捕らわれの身となり、その本国スコットランドには親英的政府が成立した。内政面でも、エリザベス的施策が種々試みられ、1560年グレシャムの提案により銀貨の改鋳を命じ、1563年には「囲い込み取締り法」「職人法」「救貧法」を制定、急激な変革を抑えて経済、社会の安定を目ざした。1568年末、スペインの軍資金奪取が因となって暫時両国の国交が危殆(きたい)に瀕(ひん)することがあり、また、1569年には「北方諸伯の反乱」が起こり、エリザベス体制への公然たる敵意が示された。1570年2月にはついに女王への破門状が公にされ、これに乗じてリドルフィの陰謀が企てられた。いずれも体制側に加えられた試練といえるが、無事にこれを切り抜けてその治世の堅固なことを実証しえた。

[植村雅彦]

体制安定期(1572~1585年)

1560年代末以降の危機は、体制の安定とそれに伴う平和をもたらすことにかえって効果があり、1572年4月にスペインを仮想敵としてフランスと結ばれたブロア条約は、一つの指標たりうる。この間、女王は国民敬慕の的となり、毎年11月17日には、その即位を記念して盛大な式典が挙行された。内乱のおそれなく、対外戦争の大事もなく、ユグノー戦争のさなかにあるフランスと比べて禍福の差が顕著であったといえよう。1573~1578年の5年間はとりわけ安穏であったとされる。しかし忍び寄る不安の影も否定しがたく、国教会に対する新旧両派の攻撃はしだいに激化し、メアリー・スチュアートの存在はやはり一つの禍根となった。外からはスペインの重圧が大きくなるのみで、女王の後継者は未定という状況であった。

[植村雅彦]

体制苦難期(1585年以降)

女王の安危にかかわるバビングトン事件が発覚し、その一味であることが明らかになったメアリーは、ついに処刑された(1587年2月)。オランダの独立達成のため、イギリスの歩兵、騎兵がネーデルラントに派遣され、これがそれまでの海上における角逐と相まって、ついにイギリス・スペイン関係は戦争状態に突入した。1588年のスペインのアルマダ(無敵艦隊)に対する勝利により、女王の名誉は大いに高揚したが、戦争は長期化し、財政は苦しくなった。加えて、1594年から5年間連続して不作のため、穀物価格が騰貴して庶民の困窮が増大、戦争による過重な租税負担および仮借なき徴兵と相まって庶民の反抗心を刺激、諸所で暴動を引き起こした。老いたる女王を核とする政府側は、陳腐な理念より脱却しえず、そのため法令をつくっても有効適切なものになりえなかった。1595年アイルランド北部にスペインの使嗾(しそう)に基づき反乱が勃発(ぼっぱつ)、1598年ごろには全島に拡大して重大化した。さらに1601年2月、その鎮圧に失敗した寵臣(ちょうしん)のエセックス伯が反逆し、女王を悲しませた。同年10月に開会された議会は、「独占特許」を論じて異常に興奮、女王の実質的な譲歩とみごとな演技とが事態を収拾しえた。その際の国民に対する献身的愛情を強調した名演説は治世の最後を飾るとされる。1603年3月24日、69歳の生涯を閉じた。女王の死とともにチューダー朝は終わり、スコットランドからメアリー・スチュアートの子ジェームズ6世が、ジェームズ1世として即位し、スチュアート朝を開いた。

[植村雅彦]

統治の特色

エリザベスは、君主権の尊厳を重んじ、女王の威風あたりを払うことに意を用いた。統治にあたっては、つねに議会の協力を求めたが、大権事項にそれが関与することを許さなかった。人心の掌握には大いに努力するところがあり、しきりに試みられた巡幸はこのためのものである。好悪の情は著しいほうだったが、臣下の使い方を誤ることがなかった。生涯独身を通した。しかし、けっして木石の人ではなく、恋の炎に身を焦がすこともあり(ロバート・ダドリーRobert Dudley, 1st Earl of Leicester(1532/1533―1588)との恋は適例)、また多数の求婚者に言い寄られたが、自分と自国の立場からすべてを断念した。海上への発展に関心があり、ドレークらの海賊的行為を支援したのは公然の秘密である。

 また、好学心の強い女王の下で、文運の隆盛をみたのはいうまでもないが、その治世はイギリス・ルネサンスの極盛期にあたり、すでにシェークスピアの登場がみられる。

[植村雅彦]

『植村雅彦著『エリザベスとその時代――イギリスの夜明け』(1973・創元社)』『J・E・ニール著、大野真弓・大野美樹訳『エリザベス女王』Ⅰ・Ⅱ(1975・みすず書房)』『別枝達夫編・訳『エリザベス1世――近代イギリスの幕あけ』(1979・平凡社)』『植村雅彦著『エリザベス1世――文芸復興期の女王』(1981・教育社)』


エリザベス(2世)
えりざべす
Elizabeth Ⅱ
(1926―2022)

イギリスの国王(在位1952~2022)。ヨーク公(後のジョージ6世)の長女として4月21日生まれる。1936年エドワード8世の退位に伴い、父が国王に即位したことにより、第1位の王位継承者となった。1947年11月エジンバラ公フィリップと結婚、父王の死で1952年2月国王となり、翌1953年6月、世界の耳目を集めて盛大な戴冠(たいかん)式を行った。国内での種々の公務をこなすとともに、しばしば国外に出て世界各地を訪問し、イギリスの外交に少なからぬ役割を果たした。1975年(昭和50)5月に日本を訪れたのも、その外交活動の一環である。王室メンバーをめぐるスキャンダルなどで王室の権威が揺らぐなか、その立て直しに努め、2002年、2012年、2022年には即位50年目、60年目、70年目の祝賀が行われた。2015年にはビクトリア女王を抜いてイギリス史上最長の君主となった。夫君フィリップとの間にチャールズ国王、アン王女、アンドルー王子、エドワード王子の4人の子がいる。

[木畑洋一 2022年9月21日]

『ロバート・レーシー著、浅井泰範訳『女王エリザベス』(1979・朝日イブニングニュース社)』『サラ・ブラッドフォード著、尾島恵子訳『エリザベス』上下(1999・読売新聞社)』


エリザベス
えりざべす
Elizabeth

アメリカ合衆国、ニュー・ジャージー州北東部、ニューアーク湾に面する都市。人口12万0568(2000)。ニューヨーク市の住宅衛星都市の性格が強い。交通の要衝としても重要。1873年以来、急速な発達をみたミシン製造をはじめ、鋳物、化学薬品、玩具(がんぐ)製造、印刷、精油業などが盛ん。1664年創設の古い町で、独立戦争の激戦地である。同州プリンストンにあるプリンストン大学の開校(1746)の地でもある。

[作野和世]

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百科事典マイペディア 「エリザベス」の意味・わかりやすい解説

エリザベス[1世]【エリザベス】

チューダー朝イングランドの女王(在位1558年―1603年)。ヘンリー8世と2番目の王妃アン・ブーリンの子。異母姉メアリー1世の治世では王位継承権を奪われ苦難の日を送ったが,25歳で即位。宗教面では中道政策を採り,国王至上法礼拝統一法を発布して英国国教会を確立させ,カトリックとピューリタンの両者を抑圧した。国際紛争にまきこまれることを極力避け,スペイン国王フェリペ2世の求婚を拒み,一生独身を通したが,オランダ,フランスの新教徒をひそかに援助し,1588年スペインの無敵艦隊の襲撃を退けて,国威を高めた。内政面では,中産階級を積極的に登用し,困難な社会情勢に多くの立法をもって対処し,〈楽しきイングランド〉と謳歌(おうか)された。女王の死でチューダー朝は終わり,生涯のライバルであったメアリー・スチュアートの子のジェームズ(1世)が即位して,スチュアート朝となった。
→関連項目アイルランドエセックス伯エリザベス朝演劇キャムデンスペンサーセシル絶対王政タリス徒弟法ドレークバードメアリー・スチュアートレスター伯ローローリー

エリザベス[2世]【エリザベス】

英国女王。ジョージ6世の子。1947年エディンバラ公と結婚,1952年即位,1953年戴冠式挙行。3男1女があり,長男チャールズは1969年立太子。
→関連項目イギリス

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旺文社世界史事典 三訂版 「エリザベス」の解説

エリザベス(1世)
ElizabethⅠ

1533〜1603
イギリスの女王(在位1558〜1603)。ヘンリ8世と第2妃アン=ブーリンとの間に生まれたテューダー朝最後の王
1559年の統一法の発布によりイギリス国教会を確立するとともに,枢密院・星室庁の権限拡大,特設高等法院の設立などで旧教徒を抑圧し,旧教派と結んだメアリ=ステュアートを処刑した。ときに軍法を普通法に代え,不法に人民を監禁し,議会は45年間の治世に10回開いただけで人民を自由に支配し,絶対主義を伸張させた。他方,重商主義を採用し,独占権賦与によって工業を育成,東インド会社を設立して喜望峰以東の独占権を得た。オランダの独立を援助し,対スペイン強硬策をとって無敵艦隊を破り(1588),以後の海上発展の道を開いた。また,その治世中,シェークスピアをはじめ多くの天才が活躍し,イギリス文学史上の黄金時代を現出した。しかし,晩年にはピューリタン(清教徒)の不満,産業資本家の台頭,議会の成長などがあって,その体制は揺らいだ。諸国の王侯からの求婚に応じることなく,生涯を独身で過ごし,テューダ朝最後の王となった。次王には,メアリ=ステュアートの子でスコットランド王ジェームス6世がイングランド王ジェームス1世として即位,ステュアート朝が始まった。

エリザベス(2世)
ElizabethⅡ

1926〜  
イギリスの女王(在位1952〜   )
ジョージ6世の娘。夫はギリシア王族出身のエジンバラ公。1975年来日。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エリザベス」の意味・わかりやすい解説

エリザベス
Elizabeth

アメリカ合衆国,ニュージャージー州北東部の都市。スタテン島との間の瀬戸にのぞみ,ニューアーク湾に面する。ニューヨーク南西ニュージャージー都市圏の一部。町の起りは 1664年,インディアンのデラウェア族から土地を購入し,集落ができたのが始り。最初の地主の一人,G.カートレットの妻エリザベスの名前が地名の由来。数本の高速道路,ニューアーク空港,エリザベス港,幹線鉄道がある。工業化が進み,石油,化学,銅,ワイヤ,電動機,印刷機,紙製品,繊維,ミシンなどの工場が立地する。 1746年ニュージャージー・カレッジ (プリンストン大学の前身) が創立された。人口 12万4969(2010)。

エリザベス[ヨーク]
Elizabeth of York; Princess Elizabeth Plantagenet

[生]1465.2.11. ウェストミンスター
[没]1503
イングランド王ヘンリー7世の妃。エドワード4世の王女。彼女はヨーク家,ヘンリー7世はランカスター家の出身であったから,王との結婚 (1486) は,バラ戦争におけるランカスター派とヨーク派の対立を終らせ,チューダー王権の確立に貢献した。

エリザベス
Elizabeth

オーストラリア,サウスオーストラリア州,アデレードの北郊にある都市。 1955年アデレード平野の農地 26km2にアデレードの住宅衛星都市として建設され,イギリス女王エリザベス2世にちなんで命名された。町は商店街,学校,住居地区が計画的機能的に配置され,住宅衛星都市としてだけでなく,自動車,機械,電機をはじめ衣服,化学など多様な工業の発達もめざましい。人口2万 8958 (1991推計) 。

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デジタル大辞泉プラス 「エリザベス」の解説

エリザベス

1998年製作のイギリス映画。原題《Elizabeth》。エリザベス1世の前半生を描く。監督:シェカール・カプール、出演:ケイト・ブランシェット、ジェフリー・ラッシュ、ジョセフ・ファインズほか。第71回米国アカデミー賞作品賞ノミネート。同メイクアップ賞受賞。

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