縄文晩期(弥生早期とも)には中国大陸から日本に稲作技術が伝わり,弥生時代には本州北部から九州南部まで広がった。日本の稲作は水田稲作を基調とし,用水の灌漑技術のあり方に規制される。古代~中世の用水体系は溜池灌漑に代表され,水田の分布は小河川の流域ないし山間部の谷戸田(やとだ)(谷津田)が大部分であった。しかし,近世社会の用水体系は用水源を河川に求めた用水路灌漑に移行して,飛躍的な農業生産力の発展を可能にした。大河川流域の沖積層平野が大規模に開発され,稲作技術についても鉄製農具の普及,品種改良の推進,施肥技術の改善などがみられた。近代の稲作は「米と繭の経済構造」と称されたように,一大基幹作目として日本経済の重要な産業部門であった。現在は国際経済のなかで米が自由化の波に洗われている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…近年は農学,考古学,民俗学などの検討を通じ,対馬海流説が最も有力視されている。いずれにしても,北九州における稲作の始まりは縄文時代晩期にまでさかのぼるもので,時代の経過とともに稲作は東進し,1世紀初めには近畿地方に,さらに3~4世紀の間に関東地方にまで達したものとみられる。その後稲作は北上し,平安時代(9世紀ころ)には奥羽地方に拡大し,鎌倉時代(13世紀ころ)には本州最北部にまでおよんだとされているが,近年の考古学的な調査結果からは,その時代が弥生時代にまでさかのぼるのではないかとの見方も提出されてきている。…
…食糧問題
【日本の農業】
日本の農業は,約450万戸の農家が約540万haの耕地を利用して営んでいるが(1980年代初頭),その基本的な特徴は以下のような点にある。第1は物的ないし技術的な特徴であって,(1)狭小な農用地(耕地)を利用して,稲作中心の水田灌漑農業が発達してきたことである。日本の耕地面積は国土総面積の14.5%(その約半分が水田),農家1戸当り1.2haにすぎないが(1983),この狭小な耕地の上で,水田稲作中心の農業が営まれてきた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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