日本列島は,太平洋を縁どり帯状の地域をつくる環太平洋地帯に属し,アジア大陸の東縁に分布する花綵(かさい)列島の一部を構成する。国土の主要部である本州,北海道,四国,九州は,互いに連接して日本列島の弧をつくり,全体としては南北に細長く続き,南東にふくらんだ形の島列を示す。北海道の渡島(おしま)半島,本州,四国,九州の山地の配列からその北半は東北日本弧,西半は西南日本弧の二つの島弧が会合したものと解釈されている。これに北部では千島弧,中央部で七島-マリアナ弧,南部で琉球弧が重なって連接した島弧群を形成しており,大陸との間に日本海,東シナ海を縁海として抱いている。本項ではおもに〈日本の自然〉について記述する。
日本列島の幅は広い所で300km,長さは合わせて3500km以上にも及ぶうえに,海岸線の出入りが激しく,その延長は2万8000kmにも及ぶ。長汀曲浦(ちようていきよくほ),津々浦々の語の示すように海岸地形は変化に富んで美景が多く,場所により地盤の隆起・沈降運動の差異,海食や風浪の影響を反映して多彩である。太平洋側には知床(しれとこ),下北,房総,伊豆,紀伊,大隅など,日本海側には渡島,津軽,能登,島根,東シナ海側には長崎,薩摩などの大小の諸半島が突出し,岩石質の海崖,磯浜が卓越する。一方,オホーツク海,鹿島灘,遠州灘などや日本海側の諸平野の臨海部には,平滑で,直線状,やや大規模な砂浜や礫浜も認められる。また三陸海岸,先志摩,紀伊水道,豊後水道,若狭湾,五島列島,対馬(つしま)などのようなリアス海岸線や天草松島,瀬戸内海の島々のような沿岸諸島など沈水による地形が目だつ。一方では北海道沿岸部のほぼ全域,阿武隈高地の臨海部,房総半島,佐渡島など海岸段丘の卓越する部分があり,離水傾向が顕著な場所のあることを示している。日本列島を構成する島嶼の数は3700をこえるが,90km2以上の面積をもつ比較的大きな島は30に満たない。淡路島,小豆(しようど)島のような瀬戸内海の島々や,日本弧に平行する佐渡島など近海に散在する島のほかには,七島-マリアナ弧に沿う伊豆諸島,小笠原諸島,琉球弧に沿う南西諸島がある。日本が島国といわれるゆえんは主島をはじめ国土のすべてが島々から構成されているからにほかならない。比較的低平な島は種子島,礼文(れぶん)島などの海食段丘からなる島や喜界島や南大東島のような一部の隆起サンゴ礁からなる島にすぎず,ほとんどが山地島や火山島で,汀線から直接長大な急斜面となって隔絶性を強調するような島の地形が多い。
日本列島の地形は基本的に山地からなり,面積比は山地・火山地60%,丘陵地11%,山麓地4%,低地・台地25%となっている。温帯湿潤気候下にあり,冬の季節風の強い吹出しとそれに伴う豪雪および夏の台風の襲来を受けやすい位置にあるために,風化作用の進みは早く水による浸食作用は特に著しいといえる。このため河川密度が高く急流も多く,河谷は深く刻んで起伏をさらに著しいものとし,地形に細密なひだをつくる。洪積世氷期の地形への影響は,日高山脈,飛驒山脈,木曾山脈,赤石山脈の高い稜線部に氷食による高山地形を形成するにとどまった。このため日本の山肌には一般に裸岩地はあまり多くなく,古くからの風化物がとどまっており,長く氷河の下にあった欧米北半部でみられるような,氷食の結果,地表の風化物質がすべて剝奪されているような現象はない。またアルプス・ヒマラヤ地帯ほどの隆起量がないため,壮大な急斜面はないが,山地は一般に急傾斜地に富み,ほとんどが森林植生に覆われているが,一方で崩壊地も多い。
中央日本では,標高3000m内外の脊梁山地が列島を横断して南北方向に長くのびるが,その東縁に接するフォッサマグナを境に,北東側は向きを転じおもに新第三系から成る越後山脈や魚沼丘陵,頸城(くびき)丘陵などが列島と平行して北東~南西方向にのびる。一方,中央日本の諏訪湖付近に発する中央構造線は西南日本を外帯と内帯に分ける。南側の外帯は,赤石山脈から紀伊山地,四国山地,九州山地と続いて,中・古生層の岩石が帯状に配列する地質構造を示し,大起伏山地となる。一方,内帯は中国山地のようなおもに花コウ岩から成る隆起準平原を原型とする高原性山地や六甲山地,生駒山地のような断層地塊山地となり,小・中起伏を呈する。
造山運動が引き続き盛んな証拠は,千島弧,東北日本弧の中央列と西側,七島-マリアナ弧,西南日本弧内帯の東寄りと北側,琉球弧に沿って顕著な火山列があり,77座の活火山が分布することである。活断層も各地に認められ,比較的頻繁におこる大小の地震の震源の一部となる。火山活動は溶岩流,火砕流などがその周辺に直接影響を与えるほかに,広範囲にわたり風にのせて火山灰を散布する。関東ロームのように火山灰が長い年月には数m以上の厚さに積もって地表を覆う場所が多く,そこでは火山灰が表層地質や土壌母材を構成する。
平地は山地より流下する河川の河口付近または山間の断層盆地,谷盆地につくられる沖積低地の型が多く,小規模で各所に散在する。沖積層は多く粗粒の砂礫質を呈し,扇状地性の平野となりやすいが,伊勢湾,有明海など湾入部に流入する河川沿いには,濃尾平野,佐賀平野のように扇状地から三角州まで続く一連の沖積平野が発達する。鳥取平野,越後(新潟)平野など日本海側の諸平野や遠州灘,鹿島灘などに沿う平野の臨海部には海岸砂丘が発達し,季節風の卓越を実証する。また利根川,木曾川のわずかな例を除くと河畔砂丘は例が少ない。
平野は大きくは関東平野や十勝平野,根釧(こんせん)台地,宮崎平野のように洪積台地の占める面積が大きい台地性の平野と,越後平野や濃尾平野のように沖積低地の占める部分の大きい低地性の平野とに区別される。また臨海部には東京湾,大阪湾沿岸の埋立地,八郎潟の干拓地,瀬戸内海沿岸の干拓地,塩田などの人工平地が見られ,おもに近世から近代にかけて活発に造成されてきた。一方,大都市周辺の地域では丘陵地の斜面や台地の崖の斜面を人為的に崩したり,階段化したりして住宅用地を造成するいわゆる人工地形の例が目だっている。第2次大戦前は炭鉱地帯にぼた山やこの種の造成地がつくられた。都市化地域の最近の急速な人為的地形変化は土地資源の急迫だけではなく,大型土木機械の導入によって土地改変の技術が飛躍的に進歩したことにもよる。
執筆者:式 正英
日本列島の地史(地質構造発達史)は新生代中ごろを境として大きく二分される。古い方の時代は,数次の変動を経て日本の基本的骨組みが形成されてきた時代である。新しい時代は,古い時代の地帯構造を切る新しい構造配列パターンの出現で特徴づけられ,現在みるような諸島弧-海溝系へと発展した。
(1)新生代中ごろまで 本州には先カンブリア時代にさかのぼる放射年代を示す地質記録がある。古い年代値としては19.8億年前(岐阜県のジュラ紀上麻生レキ岩の片麻岩礫)や17.8億年前(近畿地方領家変成岩の泥質源岩中の砕屑(さいせつ)粒子とみられているジルコン)の記録がある。またオーソコーツァイトのように,もともと乾燥大陸性環境下で形成されたとみられるものの礫が,日本の各地から発見されていて,そのあるものは7.8億年前の放射年代を示している。日本で最古の化石はオルドビス紀のもので,岐阜県の飛驒外縁帯から発見され,また四国の黒瀬川構造帯のシルル紀石灰岩からも二次(誘導)化石として報告されている。中期古生代(シルル紀,デボン紀)の地層は上記の2地帯のほかに北上高地などにも分布する。後期古生代(石炭紀,二畳紀)以降の化石は北海道から沖縄県にいたるまで各地で知られている。このように約20億年以降の記録をとどめている日本列島の形成過程については,大別して二つの考え方がある。
一つは現地説ないし固定説ともいうべきもので,日本列島は先カンブリア時代の基盤をもち,その基盤の上に地向斜が生じ,おもな地向斜の年代は大洋側へと若くなり,その過程で造山運動が幾度かおこり,日本列島は成長し,形成されてきたという考え方である。そのなかにも諸見解があるが,全体としては1960年代までの主流をなしていた。
これに対して70年代以降,異地説ないし水平移動説ともいうべき見方が提起されてきた。これはプレートテクトニクスの登場を国際的背景とし,具体的には中・古生界の微化石層序学,堆積学,岩石化学,古地磁気学などのめざましい研究の進展にもとづいて,地向斜堆積物が年代の異なる大小さまざまの外来岩塊をいろいろの様式で多量に含んでいること,ならびにこれら外来岩塊の初生的な形成場が,しばしば大洋ないし縁海環境に比較されることなどが考え方の基調となっている。地向斜は大洋ないし縁海環境下の産物が,プレート運動により水平的に移動してプレート収束境界で大陸側に衝突・付加されたため,異地起源の外来要素を基本的に含むという考え方である。この説では日本列島の先カンブリア時代や古・中期古生代の地質記録は古い海洋プレート中の異地性微大陸片に由来すると解される。
異地説による日本列島形成像の一つを以下に記す。日本列島の骨組みは,中生代以降に次のような3段階を経て順次形成された。(a)古生代末には,中朝地塊(華中・朝鮮半島地域)は当時のシベリア,ヨーロッパ大陸地塊とははるかに離れた位置にあり,古赤道域の異地性地塊であった。中生代初めに両地塊が衝突・合体するのに伴い,西南日本の北縁地帯(図1のa地帯)が古アジア大陸の縁辺部をなして形成された。この北縁地帯は飛驒,飛驒外縁,舞鶴などの諸帯を含み,三畳紀までの変動の記録をとどめている。(b)ついで,中生代中ごろ(ジュラ紀~白亜紀初頭)には本州,四国,九州の主部(図1のb地帯)が集結・合体した。この地帯の“古生層”の多くは実はジュラ紀層であり,古生代や中生代三畳紀の古赤道域起源の異地性岩体を多量に含んでいる。ジュラ紀中ごろには図1のaの地帯では大規模な二次造構運動や花コウ岩の形成(飛驒帯など)があった。(c)さらに中生代後期(白亜紀)から新生代中ごろにかけて,西南日本では四万十(しまんと)区(図1のc地帯)が付加形成された。この時期に西南日本の図1のb地帯では中央構造線の発生など二次造構運動があり,また内帯や東北日本では大規模な酸性火成活動が進行した。北海道の中央部(日高区)でも白亜紀の収束・付加が進行(日高層群の形成)し,それとともに古第三紀には,オホーツク海の主部を占めるオホーツク地塊(当時は北アメリカプレートの一部)が衝突し,北海道の骨組みが形成された。このように日本列島地域は,中生代ユーラシアプレートの東縁に段階的に集結し形成されていったが,以上は地史の大局的あら筋であり,具体的にはさまざまな状況下の形成過程を内包している。なお,新生代中ごろまでは,日本海は本質的には開口していなかったらしい。
(2)新生代後期 この時期の顕著な特徴は火山性のグリーンタフ地域の発生である。この地域は日本海側のほかに南部フォッサマグナ,伊豆地帯や北海道北東部に分布し,弧性火山活動をなしていた。中新世当時の弧の配置状況は相対的には現在の島弧系のそれと調和的であるが,一方で古い時代の構造配列を切っている。東北日本弧では内側に含石油層や金属鉱床が形成された。古地磁気研究によれば,中新世中期(1500万年ほど前)に西南日本は約45度時計回りに回転し,それは日本海の拡大を意味するとされる。その後,鮮新世から第四紀にかけて,現在の東日本島弧系(千島弧,東北日本弧,七島-マリアナ弧)と西日本島弧系(西南日本弧,琉球弧)の発達が顕著となる。新生代後期の変動は一括して瑞穂(みずほ)造山ないしグリーンタフ変動とも呼ばれているが,鮮新世以降の過程を島弧変動として,中新世のグリーンタフ変動と段階的に区別する扱いもある。西南日本では,前者は六甲変動として知られている。第四紀を中心とする変動については以下において述べる。
執筆者:市川 浩一郎 現在の日本列島は島弧の集りで,それぞれの弧は,いずれも島弧-海溝系の一部(凸部)にあたり,プレートテクトニクスによれば,サブダクション型プレート境界(一方のプレートが沈み込んでいる境界)の上盤側に位置する。島弧-海溝系の大地形や地体構造がもっとも典型的に現れているのは東北日本弧で,そこでは,内側(西側)から外側(東側)へ,(1)海洋型地殻をもつ縁海=日本海,(2)火山性内弧=日本海沿岸~脊梁山脈,(3)火山前線(フロント),(4)非火山性外弧=北上高地,阿武隈高地,(5)アサイスミック・フロント,(6)島弧-海溝ギャップ=大陸斜面,(7)海溝軸=日本海溝,の順で,海溝軸に平行に帯状分布している。それぞれの地帯には特徴的な地形,地殻変動(褶曲や断層),地震活動,重力,熱流量,地殻の厚さや破砕度などが知られている。たとえば浅発地震活動は(1)と(4)で低,(2)で高,(6)で著しく高であり,活断層の密度も同様である。東北日本弧以外の弧でも,これほど典型的でないところもあるが,大体は同様の傾向をもっている。
以上のような島弧-海溝系の活動は,およそ新第三紀の初めごろ(約3000万年前ごろ)から,それ以前に形成された地質構造を横切って開始され,そのころから火山性内弧,非火山性外弧,海溝などの基本的な区分はほぼ定まったと考えられる。このことは,現在の太平洋プレートとユーラシアプレートとの相対運動の基本的な性格が新第三紀の初めごろに定まったことを意味する。しかし,フィリピンプレートの活動の性格および同プレートとユーラシアプレートの相互作用の歴史は新第三紀以降も複雑であり,これを反映して,西南日本弧の地殻変動の歴史は他の弧に比べて複雑になっている。また,それぞれの島弧-海溝系内部の活動も,その発達史の段階に応じて異なっており,現在とほぼ同様の地殻運動が認められるようになったのは,どの弧においてもおよそ第四紀の初めごろ(約200万年前)から中ごろ(数十万年前)以降のことである。おもな特徴を以下にあげる。
(1)日本列島の大地形,すなわち高い山脈,大きな海岸平野,山間盆地,河谷などがつくられたのは第四紀の初めごろからの構造運動によるものである。これらは島弧活動およびそのもとになったプレート間の相対運動を反映しているとみられる。ただし,北海道の脊梁をなす日高山脈は,島弧を形成する活動の開始の直前にあったと見られる別のプレート運動によって形成されたものであり,その運動のなごりが大地形としては島弧を形成する活動に打ち勝って現在にまで引き続いていると見られる。(2)太平洋側の海底の深さは,日本海溝も含めて主として第四紀の間に定まったと考えられる。(3)現在みられる火山やカルデラの活動の大部分は第四紀の中ごろから始まっている。(4)東北日本の日本海側からフォッサマグナ地域にかけての褶曲帯は第四紀の初めごろから活動的になり,現在まで引き続いている。(5)活断層も第四紀の初期(東北地方など)か中期以降(近畿地方,中国地方など)の活動が現在まで引き続いており,それ以前の運動様式は現在のそれとは異なっている。(6)フィリピンプレートに属する伊豆半島は第四紀の初めごろに本土と衝突したと見られ,それ以後に同半島とその周辺地域は,その他の地域とは異なった特異な地殻変動の場となり現在に至っている。
以上のように,日本列島の景観や地震,火山などの地殻変動が現在と同じようになったのは,地質時代からいえばごく最近のことであるといえる。
執筆者:垣見 俊弘
日本列島の地質区または構造区の区分は,前述のように地質構造発達史からみて,第三紀中ごろ以前と同以降とで著しく異なってくる。第三紀中ごろ以前の大地質区の区分は,基本的には時代の異なる主要な堆積盆地の発達状態にもとづく。日本列島の主部を占める古期本州弧は,本州区と大洋側の四万十区に分けられ,両区は現在仏像線で境されている。また,古期本州弧は棚倉構造線により西南日本(沖縄諸島へ続く)と東北日本(北海道西部を含む)に大別され,前者では古期岩層の帯状構造が顕著である。西南日本と東北日本は,特に後期中生代の酸性火成活動の場,時期や後期中生代~第三紀前期の堆積盆地の発達状態についても異なる。西南日本は中央構造線で内側(大陸側,内帯)と外側(大洋側,外帯)に分けられる。北海道中軸帯は日高区で,同東部は根室区で代表される。南西諸島南西端部は台湾との地質的関係から別個の地質区とみなされよう。さらに,大地質区は,古期岩層の層相の発達状態や堆積盆地の発達状態,変成帯の分布によって,それぞれがいくつかの構造区に細分される。なお,九州北西部や関東,北海道東部における古期岩層の特異な構造方向は,若い地史をもつ島弧の発生に関連したものであろう。第三紀中ごろになると,古い時代のものと性格が著しく異なった地殻変動が起こり,大地質区の新しい配列様式が現れた。大陸側の火山物質に富んだ堆積地帯(グリーンタフ地域)と大洋側の非火山性物質を主とした堆積地帯(非グリーンタフ地域)の対立が特徴的で,前者は現在の島弧の内帯を,後者は外帯を代表している。第三紀中ごろ以降の本州弧は,グリーンタフ地域の分布に注目して糸魚川-静岡構造線により西南日本と東北日本(北海道西部へ続く)に分けられ,両者の境界は古い時代の西南日本,東北日本の境界からずれている。西南日本ではグリーンタフ地域の分布が狭く,東北日本ではそれが広く発達する。
なお近年は,新しいプレート境界として糸魚川-静岡構造線の主部から日本海東縁,間宮海峡へと北上する線が注目されてきて,古い時代の終りごろのユーラシア,北アメリカプレートの衝突境界(北海道)が第四紀には上記の線へと不連続的に転移しているとする説がある。
執筆者:田中 啓策
日本列島のようないわゆる島弧は,ふつうの大陸や海洋に比べると規模も小さな特殊な地域であり,その地殻がどのようなものであるかは,きわめて興味深い問題である。現在の地殻の定義は,20世紀の初めに走時曲線の解析から発見されたモホロビチッチ不連続面に基づいているが(この面より上が地殻,下がマントル),日本列島の地殻の構造も,主として地震学的な手法により調べられてきた。日本の地震観測網は,1920年代にはすでに他国に例を見ないほど密なものであったので,このころ続発した関東,但馬,北丹後などの大地震の走時曲線から多くの研究者が日本列島の地殻構造を推定した。特に29年の松沢武雄によるものは有名である。しかし自然地震の走時曲線には,震源決定の誤差が常につきまとうので,50年以降はこうした恐れのない人工地震の実験が,日本列島の地殻構造を調べるために盛んに行われるようになった。日本列島は小さな島を別にすれば,陸地の下の地殻の厚さは30~40km程度で,花コウ岩質層と玄武岩質層に分けられることが多い。これは,大陸地域の地殻とほとんど同じであるが,複雑な地質構造を反映して,その上を覆う堆積層には著しい地域差がある。三陸沖の大陸斜面や瀬戸内海など浅い海の下の地殻も,陸の下の地殻とほぼ同じ特徴をもっている。日本列島周辺の深海部でも,人工地震の実験が数多く行われている。日本海溝の東側の北西太平洋が厚さ数kmの典型的な海洋地殻をもつことは当然であるが,日本海やフィリピン海など,いわゆる縁辺海でも海洋型の地殻であることが確かめられている。大陸型の地殻が海洋型の地殻にとりかこまれているという日本列島の特徴は,その生い立ちを考えるうえできわめて重要である。特に,日本海の地殻が海洋型であることなどから,日本列島が中国大陸から分離して現在の位置に移動した,と考える研究者も多い。
執筆者:吉井 敏尅
日本の気候の特徴をまとめると次のとおりになる。日本の大半は,温帯地方にあるので年平均気温は10~18℃,年降水量は1000~2500mmで,四季の変化が豊かである。アジア大陸の東岸に位置しているので,一般に冬は寒冷少雨,夏は高温多湿の東岸気候の特徴をもつ(イギリスや北アメリカの太平洋岸は西岸気候で,冬は温暖多湿,夏は冷涼乾燥である)。東アジアの季節風帯にあるので,季節風気候の特徴をもつ。すなわち,冬は北西季節風が卓越するので日本海側では湿潤多雨(雪),太平洋側では乾燥少雨という気候を,また夏は南東季節風の卓越によって高温多湿の気候をつくりだす。南東季節風の吹きはじめと後退する時期には,梅雨と秋霖(しゆうりん)という二つの雨季がある。日本は南方海上から台風が来襲するコースにあたっており,暴風雨,洪水,高潮などが起こりやすい気候帯にある。日本付近では,しばしば低気圧や前線の活動が活発となり,複雑な地形と相まって豪雨,豪雪,干害,冷害などの災害が起こりやすい気候帯にある。
四季の代表的な天気図の型(気圧配置)を通じて,季節の天気の移り変りを述べよう。
(1)西高東低型(冬型) 大陸に高気圧があって千島近海に発達した低気圧がある型で,冬型とも呼ぶ。この気圧配置は持続性が強く,1週間以上も続くことがある。日本付近では縦縞模様の等圧線が南北に走り,北西の季節風が強い。日本海側では,曇りで雨,雪の所が多く,山間部を中心に大雪が降る(山雪型の大雪)が,太平洋側では北西の空っ風が吹き晴天となり乾燥する。南西諸島では北東の風で雲が多く,にわか雨が降りやすい。同じ西高東低型でも,等圧線が日本海で低気圧性に湾曲してしばしば秋田沖などに小低気圧がある型を特に〈袋型〉と呼び,平野部や沿岸部を中心に大雪が降る(里雪型の大雪)ことが多い。シベリアから南下してくる寒気団が暖かい日本海を渡るとき,日本海から熱と水蒸気の供給を受けて変質する。この変質気団が日本の脊梁山脈(中央山脈)を越えるとき,強制上昇させられる結果,山地を中心に降る雪が山雪である。一方,大陸から上空の寒気団が日本海中・南部に南下してくると,下層の暖湿な気層の上に寒冷乾燥した気層が重なって大気の成層が著しく不安定となる。この不安定な気層を解消するときに,平野部,沿岸部を中心に降る雪が里雪である。
(2)東シナ海低気圧型 低気圧が東シナ海で発生して,日本の南岸沿いに北東に進み,一般に発達する型である。この型は1年を通じて見られるが,冬の終りから春先にかけて西高東低の気圧配置の弱まったときに発生する低気圧は,急発達して80km/h以上の速度で北東進することがよくある。この場合,太平洋側を中心に強風雨や大雪となり,特に湿性の重い雪が送・配電線や通信線に付着して鉄塔の倒壊や停電事故を起こしやすい。台湾付近に発生するところからこの低気圧を〈台湾坊主〉と呼んでいたが,語感が悪いので東シナ海低気圧または台湾低気圧といいかえるようになった。なお,一般に日本の南岸または南海上を北東進する低気圧を南岸低気圧または南海低気圧と呼ぶことがある。
(3)二つ玉低気圧型 二つの低気圧が本州をはさんで南岸沖と日本海岸沿いをともに北東に進む気圧配置である。天気が予想外に早く変わり広範囲に悪天となり,雨量も多くなる。特に低気圧が発達すると,暴風雨雪となり山も海も大荒れとなる。一般に二つの低気圧は,日本の東海上で一緒になり一段と発達することがよくある。二つ玉低気圧には,それぞれの低気圧が温暖前線,寒冷前線をもつ場合,両者の低気圧の中心を閉塞前線で結ぶ場合,いずれかの低気圧に前線が欠ける場合などいろいろな型がある。
(4)日本海低気圧型 日本海で低気圧が発達して北東進する気圧配置で,1年を通じてみられるが著しく発達するのは春先に多い。日本海低気圧がもたらす南西のち西よりの風は強く,昔から春は大風の季節といわれる。春一番,花あらし,メーストームなどと春の強風につけた雅名は多い。日本海低気圧は,待ちに待った春の暖風をもたらす一方,暴風雨雪,雪崩,融雪洪水,大火などの災害をもたらすことが多い。発達中の低気圧の中心気圧は1時間に1hPaずつ下がるとみてよい。低気圧から南西にのびる寒冷前線の通過の際は,突風や雷などが起こり,また通過後は北西の風が強く気温が下降して寒のもどりとなることがある。
(5)移動性高気圧型 春,秋は天気が周期的に変わり,3~4日ごとに雨が降りやすい。これは,移動性の高気圧や低気圧が交互に日本付近を50km/hぐらいで東進するからで,移動性高気圧型は春,秋を代表する気圧配置でもある。移動性高気圧が日本を覆うと,日中は暖かく晴れ上がり,五月晴れ,秋晴れなどと呼ばれる好天となる。しかし,夜から朝にかけては放射冷却による冷え込みが強く,晩霜や初霜の被害の起こることがある。移動性高気圧の中心が過ぎると雲が広がり天気は下り坂に向かい,次の低気圧が接近すると雨となる。なお,大陸から東進してくる移動性高気圧の経路が北に偏ると,気圧配置が北高型となり,太平洋側の地方を中心に曇・雨天となることが多い。
(6)梅雨型 6月初めになると,日本の南海上にある小笠原高気圧から吹いてくる暖湿な南西風と,オホーツク海高気圧から吹いてくる冷湿な北東風とが日本の南岸沖で触れ合って前線(梅雨前線)が形成される。二つの高気圧の勢力が伯仲しているので,前線はほぼ東西にのびて停滞し,前線上を小低気圧が約1000kmの間隔を保ってあいついで東進する。前線の北側約300~500km以内では曇・雨天の所が多く,およそ1~2日おきに低気圧が通るごとに雨が強まる傾向がある。梅雨の天気図の特徴は,小笠原高気圧,オホーツク海高気圧,梅雨前線の存在であるが,典型的な梅雨型の気圧配置の例は案外少ない。なお,梅雨前線は停滞前線のことも,温暖前線と寒冷前線の組合せで表現されることもある。例年,6月上旬になると,梅雨前線が本州の南岸に停滞して梅雨入りとなるが,6月半ば過ぎに一時,前線の活動が弱まって梅雨の中休みになることがある。6月末から7月半ばごろにかけては,梅雨前線が本州を横切ったり日本海岸沿いに走るようになり,梅雨末期の集中豪雨のシーズンとなる。暖湿な空気が舌のような形(湿舌(しつぜつ))で前線に流れ込むと集中豪雨が降りやすくなる。一方,梅雨型の気圧配置が長く続くと,オホーツク海高気圧から吹いてくる北東の冷湿風(〈やませ〉という)が東北地方を中心に流れ込み,冷害のおそれがでてくる。7月半ば過ぎになると,梅雨前線は日本海方面に北上したり,または日本の南岸で消滅したりする。このようになれば,日本付近は安定した小笠原高気圧に覆われて梅雨明けとなる。
(7)南高北低型(夏型) 小笠原高気圧(太平洋高気圧)が広く日本付近を覆い,大陸が低圧部となる気圧配置を南高北低型または夏型と呼ぶ。本州東方海上の高気圧が西に張り出して日本付近を覆うときは東高西低型ということもある。朝鮮半島付近にしばしば別の小高気圧がみられ,日本付近を覆う等圧線の形がクジラの姿に似て,朝鮮半島付近があたかもクジラの尾にあたるところから〈鯨の尾型〉の天気図と呼ぶこともある。一般に夏以外の季節でも,日本付近が移動性高気圧に覆われて,さらに西の朝鮮半島や黄海付近に小さな高気圧があるときは移動性高気圧は停滞して晴天が長続きする傾向がある。日本が小笠原高気圧に覆われ夏型になると,全国的に酷暑,油照り,かんかん照りの日が続くが,小笠原高気圧の周辺にあたる地方では天気が悪く大雨の降ることもある。小笠原高気圧は,おおむね10日程度のリズムで,西に張り出したり東にひっこんだりして盛衰を繰り返す。年によって異なるが,7月末から8月上旬ごろ,小笠原高気圧の勢力が一時弱まったときに北方から寒冷前線が南下して,北日本を中心とした日本海側で大雨の降ることがある。このとき寒冷前線が強いと悪天の区域が関東以西にも広がり,戻り梅雨となることがよくある。8月半ばの旧盆のころになると,上空では早くも大陸の寒気が侵入して各地で雷雨が多発するようになる。
(8)台風 台風の発生数や日本に上陸した数を調べると8月下旬にピークを示すが,過去に日本に大きな災害をもたらした台風は9月後半に襲来している。台風は熱帯の海上で発生する熱帯低気圧の一種で,域内の最大風速が17.2m/s以上のものをいう。台風はある高さの所まで左回りの渦巻で,中心には眼がある。眼の直径は20~200kmで中心付近は風が弱く晴れている。中心のまわりには厚い積乱雲の壁があり,ここでは大雨が降り,風も最も強く,さらに中心から離れると風は弱くなる。台風の強さはふつう中心の気圧で表され,中心気圧が低い台風ほど域内の最大風速は大きく風水害の被害も大きい。台風の中心の進路に対して東側(右側)は,南よりの風が強く,雨も強く,高潮などが起こりやすい。また西側(左側)では,北よりの風で風は比較的弱い。これは移動する台風の右側の風は,渦巻の風と台風を押し流す風(一般流)との和となるので強く,左側の風は差となるので弱くなるのである。台風はもともと風も雨も強いが,そのときの気圧配置によって風が著しく強くなったり,また大雨が降ったりすることがある。前者を風台風,後者を雨台風と呼ぶことがある。真夏に襲来する台風は日本列島を覆う小笠原高気圧の周辺を回るように進むことが多いから,風が強く大きな風害をもたらすことが多い。秋にくる台風は日本列島を襲うものが多い。大陸からの寒気が補給されて台風の強さを増すことがあり,前線に沿って大雨も降るので大きな風水害をもたらす場合が多い。さらに梅雨期にくる台風は規模が小さく強くはないが,台風前面の梅雨前線を活発にさせて大雨を降らせることがある。台風の動きを予想する方法はいろいろある。まず,過去の台風の中心位置を結んで,いままでの速度と加速度を考えて将来の位置を求める補外法がある。また,川の本流の中を小さな渦巻が流されていくのと同様に,台風の渦巻が台風の影響を除いた上空の空気の流れ(一般流または指向流といい500hPaの等圧面で求めることが多い)に沿って流されるという考えを基にした指向流の方法,数値予報による方法,台風の気候学的な特徴を基にした統計法などがあり,実際にはこのような各方法を総合して予想する。
(9)北高型 大陸から移動性高気圧が日本海方面に張り出し,北に偏って日本を覆うとき,北日本では晴れるが太平洋側を中心に冷たい雨の降るぐずついた天気が続くことがある。このような気圧配置を北高型といい,本州の南岸沖に前線が停滞することがよくある。北高型による長雨は,春は春霖または菜種梅雨といい,秋は秋霖または秋の長雨といい,南岸沖の前線を秋雨前線と呼ぶ。秋雨前線は,夏に大陸方面に北上していた梅雨前線が秋になって大陸が冷え込んできたため南下を始め,本州付近に停滞したものという解釈もできる。北高型の気圧配置が解消するには,ふつう日本付近を発達した低気圧が通ることが必要のようである。
(10)北東気流型 日本付近やその一部の関東地方などに北東の冷気流が流れ込んで,予想外に天気が悪くなる型をいう。北東気流型にはいくつもの型がある。図3の(10)は移動性高気圧が本州を通り過ぎて高気圧の中心を関東の東海上に移したとたんに関東の東海上から北東の冷湿気流が関東地方に流れ込んで雨となったときのものである。東京では,高気圧圏内にあるのに午前中は雨,午後からは曇りとなった。また,大陸の高気圧が北に偏って日本海から三陸沖に張り出すとき,本州の大部分では北東気流となるが,特に関東地方では南岸沖に前線もできて,梅雨どきのような冷雨の降ることがある。この北東気流型は北高型の一種とも考えられる。一般に北東気流型は,年中現れるが,晩秋の11月ごろに多く見られる傾向がある。冷雨は夜間から朝にかけて降りやすく,日中は雨はやんで曇ることが多い。北東気流による悪天を予想することはむずかしく,天気予報が大きくはずれるときはこの型の場合が多い。
執筆者:宮沢 清治
日本列島は,その南北のひろがりと多様な気候,複雑な地形といった環境の多彩さにふさわしい多様な植物群を有している。野生植物として種子植物だけでも約4000種ほどが知られている。それらの分布は,基本的に気温や降水量によって規定されている。日本列島では植物の生育期間に十分な降雨がある。そのため全域で森林植生が優占的に繁茂する。日本列島の森林植生は南西諸島の海岸にみられる亜熱帯性のヒルギ林で代表されるマングローブ林から,西南日本の標高700m以下の山地や平地(現在はほぼ完全に人為によって破壊されて残っていない)に分布するシイ,カシの常緑広葉樹林(暖温帯林),その上部の冷温帯性のブナ,ミズナラを主とする落葉広葉樹林,さらに四国の高地,本州の山地から北の寒冷な地域にみられる亜寒帯性の針葉樹林といった,気温傾度に対応した森林帯の分化が明らかである。この森林植生帯の分化の主たる要因は植物の生育を許す温暖な期間がどれほど連続するか,また冬の寒さがどれほどきびしいかといった温度環境の違いにある。
月平均気温5℃以上の月について,毎月の月平均温度より5℃を差し引いた値を積算した数値を吉良竜夫は〈暖かさの指数〉と名付け,気候区分の指標とした。この指数が180以上は亜熱帯や熱帯気候,80以上が暖温帯,45以上が冷温帯,15以上が亜寒帯と定義されたが,日本の森林の帯状分布は,この気候帯とよく一致している。しかし中部地方から東北地方には暖かさの指数では85以上の地域でありながら,ミズナラやコナラなどの落葉広葉樹林が発達する地域が存在する。これらの地域は夏季には常緑広葉樹林が生育するのに十分な温暖さが保障されているが,冬季は大陸的なきびしい寒さに支配されているために常緑広葉樹が生育することができず,暖温帯でありながら落葉樹林が分布する地域とされている。この地域は本州中部内陸域ではツキヌキソウに代表されるような大陸系植物が集中する地域の一つである。また中国地方にはアベマキ,クヌギなどからなる暖温帯性の落葉広葉樹林が分布する。このような森林が点在する地域ではノグルミ,イワシデ,チョウセンエノキ,ツチグリなど大陸系の植物群が多く見られる。
日本列島では降水量の多少や季節的変動型の違いによって,温度的環境条件によって規定される植生帯の中に,さらに地域的分化が目だってもいる。そのようなもののなかで最も著しいのは,日本列島の冬季の降雪の日本海側と太平洋側の差である。日本海側の多量の降雪と2ヵ月から地域によっては5ヵ月以上にもわたる積雪日数は,植生や植物分布に著しい影響を与えているだけでなく,日本海側の多雪条件に積極的に適応進化した植物群の分化さえも引き起こしている。すなわち多量の積雪の下にうずもれれば冬季の乾燥低温から保護されるため,ヒメアオキ,ヒメモチ,エゾユズリハ,ユキツバキ,ハイイヌガヤ,チャボガヤなどのように温帯系常緑樹が低木化によってこの地域に分布域を確立したり,またトガクシソウ,シラネアオイなどの日本列島に固有分布する古い型の植物群が残存した。また,春の展葉期に融雪による水分の十分な供給があるからか,多くの植物群で葉面積の拡大が認められる。日本海側に分布する植物で葉面積の拡大(いいかえれば太平洋側での縮小)が生ずる原因については明確ではないが,日本列島域での植物群の地理的分化で目につく現象である。
日本列島域では植物が生育する夏の期間(4~10月の7ヵ月間)のすべての月で,月平均雨量200mmをこえる多雨地帯や,6~7ヵ月はいずれも200mm以下の降水しかない乾燥した地域がある。この生育期間の安定した降雨のある地域は九州南東部,四国南部,紀伊半島南部および東海地方東部で,ツキヌキホトトギス,ジョウロウホトトギス,キバナホトトギスのような日本列島に固有分布する特異な植物群やオモテスギ(スギの太平洋側系統群)の自然分布域となっている。他方,著しい乾燥地域は前述の暖温帯落葉樹林の分布域と重なり合い,大陸系植物の分布地域となる。東北から本州中部の中軸的地域はやや乾燥する地帯で,クロベ,サワラなどのヒノキ型の温帯系針葉樹林が,本州中部の冬季低温で乾燥する地域にはカラマツ林が,夏に雨が多い太平洋側には温帯型針葉樹の林が,さらに日本海側多雪地帯にはウラスギ(スギの日本海型系統群)林がそれぞれ特徴的に分布している。このような温度と水分環境の多彩さと,それに対応した森林植生の多様な発展が,日本列島域での豊富な植物相の存在や分化をもたらしたものであろう。
執筆者:堀田 満
日本は大部分が旧北区に属し,奄美大島以南の南西諸島だけが東洋区に入れられている。これらの境界線が渡瀬線で,南西諸島にはオオコウモリ,ワタセジネズミ,カンムリワシ,オオクイナ,シロガシラ,セマルハコガメ,サキシマスジオ,キノボリトカゲ,ハラブチガエル,ハナサキガエル,オオゴマダラなど渡瀬線以北にはみられない東洋区系の種類が多い。しかしここにはオリイジネズミ,カグラコウモリ,イリオモテキクガシラコウモリ,ケナガネズミ,ヤンバルクイナ,ハブ,ヒメヘビ,トカゲモドキ,キシノウエトカゲ,イボイモリなど多数の特産種を産するだけでなく,アマミノクロウサギ,トゲネズミ,イリオモテヤマネコ,ノグチゲラ,オットンガエルなどの,東洋区に類似のものを見ない特産属があり,この点でここは,東洋区の中で隣接するインドシナ亜区(台湾,中国南部を含む)とも,インド・マレー亜区(フィリピン,ボルネオなどを含む)とも顕著に異なっている。これらの特産属のうち,鳥獣類のほとんどは旧北区系の古い時代の生残りらしいから,南西諸島は旧北区と東洋区の移行地帯とみなすべきであろう。
北海道は旧北区の満州亜区に属するサハリンや沿海州に近いだけあって,動物にも共通のものが多い。ヒグマ,クロテン,ナキウサギ,ユキウサギ,エゾリス,シマリス,エゾモモンガ,エゾライチョウ,ヤマゲラ,コモチカナヘビ,キタサンショウウオなどは大陸のものと同種で,本土には見られない種である。一方,ここにはアカネズミ,ヒメネズミ,カナヘビ,トカゲ,ジムグリ,シマヘビ,アオダイショウなど,日本にしかいない種も少しだが見られる。しかし固有種はムクゲネズミ,エゾサンショウウオなど,ごくまれである。このように北海道は,純粋の満州亜区とも異なり,そこと日本本土の移行地帯である。
ブラキストン線で隔てられる本土(本州,四国,九州のほか,佐渡島,隠岐,種子島,屋久島などを含む)の動物には,シントウトガリネズミ,オコジョ,イイズナ,ライチョウなどのように,北海道あるいは沿海州と共通のものや,ツキノワグマ,タヌキ,アナグマ,カワネズミ,ムササビ,キジ,マムシ,ヤマカガシ,タカチホヘビ,クサガメ,ツチガエル,トノサマガエルなど,朝鮮半島や中国の中部,あるいは中国の南部や南西部と共通のものがあるが,日本固有のものも少なくない。アカネズミ,ヒメネズミ,カナヘビ,トカゲ,ジムグリ,シマヘビなどは本土と北海道の固有種,ニホンザル,ニホンカモシカ,ホンドイタチ,ノウサギ,ニホンリス,ホンドモモンガ,ヤマドリ,アオゲラ,モリアオガエル,タゴガエル,ニホンイモリ,クロサンショウウオその他約10種の小型サンショウウオ,オオサンショウウオなどは本土の固有種,ヤマネ,ヒミズ,ヒメヒミズ,オオダイガハラサンショウウオなどは固有の属である。ここの固有種の多くは大陸の対応種に比べて原始的で,固有属ではそのような傾向がいっそう顕著であるから,それらの多くは古い時代に栄えたものの生残りと考えられる。このように日本本土の動物相は,朝鮮半島や中国に一見似てはいるが,古い時代の種を多数保っている点で異なっている。これは本土が,南西諸島と同様,古い時代に大陸から離れ,その後陸続きになった期間が比較的短かったため,新しく現れた種が本土に入れず,古い種が新しく大陸に現れた種に滅ぼされなかったためであろう。
小笠原諸島は大洋島であるが,オガサワラオオコウモリ,メグロ,絶滅したオガサワラマシコなど固有種が見られる。また対馬は,ヒミズ,アカネズミ,ヒメネズミ,ツシマテン,アオダイショウなど,日本本土と共通の種と,ツシマヤマネコ,チョウセンモグラ,コジネズミ,クロアカコウモリ,チョウセンイタチ,キタタキ,アカマダラなど,朝鮮半島と共通の種を産する点で,動物分布上興味深い島である。本土系の種は本土のものとたいてい亜種を異にし,古く本土から隔離されたことを思わせるが,朝鮮系のものはほとんどが同亜種である。ここにはツシマジカ,クチバテングコウモリ,ツシマスベトカゲ,ツシマアカガエル,ツシマサンショウウオなどの固有種も少数ながら見られる。
執筆者:今泉 吉典
日本列島は南北に長くつながり,緯度および標高の差による気候の違いが著しく,また地形,地質も複雑で,火山や急流河川が多いといった環境因子のため,出現する土壌の種類も多く,その分布も複雑である。日本の土壌は,大陸のそれに比べて地形が急峻であることから,土壌の粒径組成が粗い。一方,火山灰に起因する特有の土壌がかなり広く分布する。また湿潤気候下で,土壌中の水分運動が下降型であることから,酸性化が進み,乾燥気候下に発達する砂漠土,塩類土は分布せず,北限が北緯45°であるためツンドラ土(凍結土)は存在しない。
大部分が暖温帯,冷温帯の森林下にあり,急傾斜の山地が多いことから,褐色森林土が51%も存在する。表層土は腐植にとみ,構造も発達し,理化学性も良好で,一般に生産力は大きい。しかし,地形の急峻な所も多く,畑地化すると浸食をうけやすい。低山地域には赤黄色系褐色森林土(黄褐色森林土)が分布し,褐色森林土の16%を占める。森林に分布するほか樹園地などに利用されているが,浸食防止を必要とする。ポドゾルは北海道北部の砂丘でみられる以外は本州の中部以北の山地に主として分布し,豪雪地の多い日本海側に多い。北海道は新しい火山灰の堆積が多く,ポドゾルの分布割合は少ない。ポドゾルは高山のハイマツ下,亜高山のシラベ,アオモリトドマツ林下にはふつうに見られる。温帯のヒノキ,ヒバ,コウヤマキ,ツガなどの天然林地帯ではその堆積腐植が強酸性のためポドゾルが発達し,豪雪地帯のスギ天然林,蛇紋岩母材上のアカエゾマツ林地帯では,表層の還元状態によって溶脱が進んだポドゾルがみられる。近畿以西は点在し,南限は屋久島である。
日本では火山活動が激しいため,山頂緩斜面や台地には火山灰が厚く堆積し,その風化土にササやイネ科草本が生育し続けた場合には,黒色土が生成される。日本ではこの土壌が15%以上もある。これは黒ボク土ともいわれる。現在国際的にはアンドソルAndosolといわれているが,これは日本語の暗土に由来する。この土壌は火山との関係が深く,しかも風積による土壌であるから,全国各地に広く分散してみられる。高原状の山地に多いので草地利用が盛んである。低い台地の黒色土は畑地に利用される。一般的にいって湛水には困難な土壌であり,水田利用は少ない。洪積台地には黒色土が広く分布するが,そのほか赤黄色土もみられる。このうち赤色土は洪積世の間氷期の温暖な気候下でラテライト化作用で生成された化石的な土壌であることが定説となっており,古土壌あるいは化石土壌といわれる。赤黄色土は鮮やかな赤色または黄色の土壌で,生産力は低く,やせて荒廃したアカマツ林下に存在する場合が多い。畑地化するには,強い土地改良が必要である。
地質的には新しい堆積物の土壌を沖積土と称しているが,土壌学的には褐色低地土,灰色低地土,グライ土,泥炭土などを含む。これらの土壌は低地にあるため,泥炭土以外は農耕地に利用される。水田土壌は灰色低地土とグライ土が大半を占め,人為によって湛水可能なすき床を作る。すき床の上の施肥された腐植のある土壌が還元状態になり,各成分が有効化するのが特徴である。なお畑地の土壌はその半分は黒色土で,残りは褐色森林土,褐色低地土である。樹園地は主として褐色森林土,黒色土,黄色土からなっている。
執筆者:橋本 与良
日本における最初の鉱山の歴史は675年に対馬(長崎県)から銀が朝廷に献上されたというものであるが,その後,708年武蔵国秩父(埼玉県)における銅の発見など,日本は古くから開けた鉱山国で,中世には各地の諸大名が,それぞれ鉱山の開発に力を傾注した。大内・尼子・毛利3氏の大森鉱山(島根県)をめぐる激しい争い,豊臣氏の生野銀山(兵庫県),徳川氏の佐渡金山(新潟県)の経営などその好例である。江戸時代は銅の輸出国であり,オランダや中国との貿易が絶えなかったのも,この銅やまた銀が大量に産出したからである。
明治時代に日本が近代化を成しとげた原動力の一つに,別子(愛媛県),足尾(栃木県),尾去沢(秋田県)といった銅鉱山,高島(長崎県),三池(福岡県)などの炭鉱を中心とした鉱業があったことを忘れてはならない。第2次大戦後の日本の復興に,エネルギー源としての石炭,セメント原料としての石灰石,そして硫安など肥料のための硫化鉱の果たした役割もまた大きかった。
通産省の資料によると,日本全国には石炭・亜炭の鉱山を除いて,9500の鉱山があったとされている。このうち,1996年現在稼行している鉱山は約1000鉱山で,内訳は金属鉱山38,非金属鉱山565,石油・天然ガス鉱山78となっており,これにさらに,19の石炭・亜炭鉱山が加えられる。9500鉱山中,残りの8500鉱山はかつて稼行された鉱山で,現在は休止中もしくは廃止となっているが,その3/4が金属鉱山で6500鉱山,残りがそれぞれ非金属鉱山の1500鉱山,石油・天然ガス鉱山の500鉱山という数になる。これらの鉱山がほぼ全国に散在し,さらに,砂利や砂など土石を採取している事業所をも含めれば,いかに多くの資源が地下から採取され,利用されてきたか理解されるであろう。とはいっても,発見されやすく,開発の容易な鉱床はすでに採掘が終了してしまっていて,現在稼行されている鉱床の多くは,いろいろ困難な条件の下で開発されたものである。今日でもなお,新しい鉱床の発見,開発のため努力が続けられているが,今日の経済状態,とくに世界市場における低価格の鉱石にはとうてい太刀打ちできない状態では,新しい鉱山の発足はきわめて難しい。
日本は,長い地質時代の間に,激しい火成活動や構造運動の作用を受けているので,地質構造が複雑で,いろいろと変化に富んだ鉱床をもつようになった。鉱種も豊富で,標本的なものまで入れれば,ほとんどあらゆる種類の鉱物が発見されるといってもよい。ただし,一般的には鉱床の規模は小さく,性状も複雑で,今日の大規模,大量処理の方式には向かないものが多い。とはいえ,1981年に発見された菱刈鉱山(鹿児島県)のように,世界でも希有の高品位の金・銀鉱山の存在の可能性がないわけではない。
1996年現在,日本国内で稼働している金属鉱山のうち,それなりの規模で生産を続けているのは豊羽(北海道,銀・鉛・亜鉛),神岡(岐阜県,銀・鉛・亜鉛),菱刈(金・銀)の3鉱山にすぎない。当然,生産量も少なく,国内需要のそれぞれ金2.0%,銀0.9%,銅0.04%,鉛3.4%,亜鉛12.1%を満たすにすぎない(1995)。
非金属鉱物では,唯一国内でその需要を満たせる資源である石灰石(年産約2億t)を筆頭に,陶石,ケイ砂などそれぞれ独特な需要をもつ資源,さらに最近いろいろな用途を見いだされつつあるゼオライトなど,全国の各地で採掘されている。かつて火山地帯で盛んに採掘された硫黄は,石油精製などの副産物として得られる回収硫黄に押されて,完全に姿を消してしまった。
かつて年間6000万t以上もの生産を誇った石炭も,96年には三池(福岡県),太平洋(北海道),松島(長崎県)の主要3炭鉱を含む19炭鉱合計で583万tにまで低下してしまい,さらに97年春には,日本第一の大炭鉱であった三池炭鉱もついにその長い歴史を閉じてしまった。石油の生産も,国内の石油需要のわずか0.3%にすぎないが,秋田県,新潟県の各地で採取され,沖合油田の開発も行われている。天然ガスも,秋田県,新潟県のみならず,千葉県,茨城県,北海道などで採取され,使われている。
なお,このような中で北海道の豊羽鉱山で生産される鉱石から採収されるインジウムが国内需要の1/3をまかない,また千葉県などの天然ガスから回収されるヨウ素(ヨード)の生産量が世界の上位にあることなど,特異な状況もある。
執筆者:山口 梅太郎
日本の農林的土地利用の基本型を地形との対応でみると,山地,丘陵地の斜面は森林,川沿いの低地は水田,台地は畑地という大まかな関連を指摘できる。近世以来1960年ころまで水利条件がよく水稲栽培が可能な場合,水田への利用を優先し,開発してきた。熱帯原産のイネは弥生時代前後に九州に導入され,古代にはその北限は現在の宮城県仙台市付近にあったといわれる。稲作が北海道に本格的に導入されたのは,耐寒品種が開発され,土地改良が大規模に進んだ明治期以降である。近畿地方や山陽地方の山間の諸盆地や諸平野には,古代に施工された条里地割りを残す開発の古い水田が,盆地床や平野面をおおって一様に見られる。条里地割りの分布は,南は鹿児島県霧島市の旧国分(こくぶ)市付近から,北は岩手県の盛岡市厨川(くりやがわ)付近に及ぶが,大平野が全面的に水田として開発されたのは近世に大規模な新田開発が繰り返し行われるようになってからである。日本海側の越後平野,庄内平野などの米どころの平野はその例であり,富山平野など散村で著名な富山県下の水田地帯もおもな部分は近世に開発されたと考えられている。これら北陸地方の諸扇状地の水田の耕土はもともと薄く,自然のままでは水が浸透しやすく冷水障害をおこすほど水温が低いため,客土による土壌改良や昇温施設などの工夫によってようやく水田耕作が可能となっていった。また山形,新潟,長野の各県などの第三紀層の丘陵性の山地緩斜面は,ケツ岩の風化した保水性の大きい粘土層を利用して古くから水田に開発され,〈千枚田〉とか〈棚田〉と呼ぶ階段状の特異な景観をつくっている。臨海や湖畔の干拓地も綿作地などとなりながら,結局は水田に利用されてきたものが多い。日本第2の大湖であった八郎潟は,1957年から干拓工事がすすめられて,170km2余の土地が造成され,66年以来1戸当り10ha規模の水田経営が開始されたが,70年代からの米の生産過剰を抑止する減反政策によって,当初の目的とは異なり,水田の多くは他の作目に転換せざるをえなくなっている。水田の減反政策は現在もすすめられているが,一方,都市近郊では都市化の影響による農地の放棄がすすんでいる。直接には市街化区域への指定などで農地の維持が困難となり,これまで見られてきた伝統的な平野一面の水田景観は,かなり激しく変化をうけつつあるのが現況である。
食生活の変化と都市化などによって,激しい変化を見せている土地利用は樹園地である。山形県より南の山間部をはじめ,山麓や台地を占める作目の多くはかつては桑園であったが,昭和初期を最盛期として全国的にその面積は著しく減少した(農作物作付面積の0.3%。1995)。しかし反当りの収繭(しゆうけん)量はかなり向上した。桑園に代わって果樹園地が増大し(作付面積の5.8%。1995),かんきつ類は西南日本から関東地方中央部まで,リンゴは東北地方から長野県までがおもな栽培地である。ナシ,モモ,ブドウなどの樹園地は第2次大戦中は衰微したが,戦後とくに著しくその面積が増加し,新しい生産地も加わって整備された。これらの産物はおもに大都市に出荷されるので,都市の著しい発展とともに果樹園地も大型化,集団化してきた。また茶畑は南は九州から北は新潟・福島両県まで分布する。都市向けのキャベツ,レタスなどの蔬菜や花卉の生産も近時ますます盛んとなり,1971年,フェリーの就航により宮崎平野と東京市場が直結した例のように,交通網の発達によって,各地の気候などを生かした栽培が可能となった。地域農業を安定させるための主産地形成を奨励する農政の影響も受けて,特色のある生産地が定着しつつある。
戦後の畜産,酪農の振興によって変化を見せたのは山地,丘陵地である。戦前,牧草地は北海道農業の基幹であったほか,小岩井農場(岩手県),三里塚御料牧場(千葉県),神津(こうづ)牧場(群馬県)に大規模のものを見るにすぎなかったが,戦後は菅平,阿蘇山などの野草地放牧場で草地改良が行われ,北上高地,阿武隈高地などの内部でも,山地斜面の萱場や樹林地を開いて大規模な草地が造成されてきている。戦前の里山の樹林地は燃料林,薪炭林,肥料林であったが,おもに石油エネルギーによる燃料革命以後,山麓部や丘陵地の樹林地の経済的価値は著しく低下し,ほとんど放棄されるままになってきた。牧草地の開発も一部はこれら里山の土地利用の転換であるが,ゴルフ場の建設もこれらの里山を対象として進行しており,かなり目だった変化をみせている。これらも間接的な都市化の影響とみられるが,都市化の直接の影響は住宅地あるいは工業団地の造成であろう。1965年の住宅地が69万ha,工業用地が9万haであったのに対し,94年の住宅地は101万ha,工業用地は17万haとなった。在来の市街地の周辺の農地が蚕食される形でこれらの造成地がみられるのは一般的であるが,丘陵地や崖の斜面の大規模な人為的改変によって,市街地が造成される場合も少なくない。丘陵地はおもに農林用地として利用され,市街地化からは取り残されてきたが,大都市に接近するところでは丘陵地をつくる第三紀層など比較的軟弱な地層が変形しやすいため,改変の対象となっている。工場用地は臨海の埋立地などに立地している例が多いが,新潟,鹿島,田子ノ浦,苫小牧(とまこまい)のように掘込み港湾の建設により周辺の砂州,砂丘地に工場立地がみられるのも新しい傾向である。これらの工業団地には在来都市に近接して,市街地を拡大する結果になるものもあるが,一方,鹿島臨海工業地域のように都市の核のない場所に新たに計画して建設されるものもある。後者の型の計画都市の中には筑波研究学園都市の建設もあり,最近の土地利用の目だった特色の一例である。
塩田は瀬戸内海沿岸を中心とする臨海部を特色づけてきた土地利用であったが,1960年代にイオン交換膜による製塩法が定着して塩田は放棄され,その跡地は一部では工場用地などに利用されている。在来の有効な土地利用が技術の進歩と経済の発展によって,その価値をいっきに失い廃棄され,そのため粗放利用地が増えつつあるが,反面,浅海底の埋立てや斜面の人為的変形によって利用可能の土地も増加し,1965年から81年までの間に海面干拓や埋立てで6万haの増大をみた。日本の在来の安定した土地利用のパターンは,都市化と過疎化を軸としてかつて例をみないほど急速に変化しつつあるのが現状である。
執筆者:式 正英
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太平洋の西縁にそって大小3700余の島が3500km以上も連なり,幅は広いところでも300kmにすぎない。地形は,面積比で山地61%,丘陵地12%と基本的に山地からなり,平野は25%にすぎない。千島列島・東北日本・伊豆小笠原諸島・西南日本-南西諸島はいずれも並走する海溝と対をなす。火山や地震の分布も同様である。このような島弧-海溝系は,プレートテクトニクスによれば一方のプレートが沈みこむところで,新生代第三紀の中頃以降,とくに第四紀の新しい地質時代につくられた。気候はその地理的位置から季節風の影響をうけ,冬は寒冷少雨(日本海側は多雪),夏は高温多湿である。また梅雨・秋霖の2雨期,台風とそれらに関連する自然災害が特徴である。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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