1901年9月発行の中江兆民の遺著。彼は同年4月借金返済のため奔走中,大阪で発病し,食道癌により余命1年有半の〈死刑の宣告〉を受け,実業家に転身してから執ることもまれとなっていた筆を執り,残されたわずかな日々の生活と想いを綴ったのが本書である。内容は日本の政治・社会から文化・芸術・人物論に至るまで多岐にわたる。明治日本にたいする罵倒(ばとう)の筆は厳しく,他方,義太夫・浄瑠璃の名人芸を堪能する至上の喜びを語る。つづいて10月出版された《続一年有半》は,自由平等の理想主義,芸術的感興にこの世の生を享受する現世主義の根底にある兆民の哲学をまとめたもので,副題にいう〈一名無神無魂〉の唯物論哲学を展開する。ともに文章家兆民と哲学者兆民の真骨頂を示している。両書は出版事情の特異さもあって1年たらずのうちに正続あわせて三十数万部を売りつくし,その後もたびたび出版された。
執筆者:寺尾 方孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明治初期から中期にかけて思想家、言論人として活躍した中江兆民(ちょうみん)の評論集。門弟幸徳秋水(こうとくしゅうすい)が編集し、1901年(明治34)9月「生前の遺稿」と副題し、博文館より刊行された。同年3月、癌(がん)のため余命1年半と宣告されて書き始めたもので、書名はこれに由来する。「民権是(こ)れ至理也、自由平等是れ大義也」の理義を堅持して帝国主義や明治国家体制を断罪するなど、政治、経済から思想、文学、科学、人物論に至るまで、社会百般にわたっての透徹した批判は文明批評家兆民の面目躍如たるものがある。また随所に、進行する病状が淡々とした筆致で誌(しる)されており、「癌との闘いの記録」ともなっている。その病苦との闘いのなかで亡国と国民堕落の状を「国に哲学無き」ことによると喝破した兆民は、引き続き『続一年有半』を執筆、同年10月に刊行したが、「ナカヱニスムス」と自称した壮大な思想哲学大系の完成を後進に託しながら、12月に衰弱のため死去した。解剖の結果は食道癌であった。
[和田 守]
『中江篤介・嘉治隆一編・校『一年有半・続一年有半』(岩波文庫)』▽『松永昌三著『中江兆民の思想』(1970・青木書店)』
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