0系新幹線(読み)ぜろけいしんかんせん

知恵蔵 「0系新幹線」の解説

0系新幹線

「夢の超特急」と呼ばれ、先頭部が団子っ鼻の愛嬌(あいきょう)あるスタイルで親しまれた初代新幹線のこと。2008年11月末で定期運行を終え、引退した。0系は東京オリンピック開催に合わせて1964(昭和39)年10月1日、東海道新幹線としてデビュー。日本の鉄道では初めて標準軌を採用、それまで6時間以上かかっていた東京―大阪間を最高時速210キロ、3時間10分で結び(開通当初は4時間)、高度経済成長期の幕開けにふさわしい高速鉄道の誕生であった。0系という名称の由来は、新幹線車両の形式名は3桁で表す規則が基になっており、百の位が系列を示していて、初代新幹線を0としたことから、「0系」と呼ばれるようになった。
 72(昭和47)年3月には山陽新幹線の新大阪―岡山間が開業、次いで75年3月には博多まで開通し、東京と西日本を結ぶ大動脈が完成した。76年には東海道・山陽新幹線で旅客10億人輸送を達成するなど、大量高速輸送の主役として走り続けてきた。この間、幾多の改良も行われてきた0系だが、基本設計が登場時から変わらなかったこともあり、当時の国鉄は後継車両の開発に着手。85(昭和60)年10月に2階建て新幹線として人気を呼んだ100系がデビューした。
 その後続々と新型車両が登場し、0系が活躍する場はますます狭くなっていく。92年には300系が「のぞみ」として運転を開始。97年には最高時速300キロを誇る500系がデビューする。99年3月の700系登場により0系は東海道新幹線から引退、山陽新幹線の「こだま」として運行されることになった。そして2007年のN700系の登場により、500系を山陽新幹線の「こだま」に充当することになったため、0系は44年に及ぶ歴史の幕を下ろすことになった。
 引退が目前に迫った08年4月からはアイボリーホワイトにブルーのラインを引いたデビュー当時の塗装に戻り、山陽路を走り続けた。12月に3日間行われた“さよなら運転”では6年ぶりに「ひかり」として新大阪―博多間を走り、多くのファンが0系に最後の別れを告げた。
 鉄道輸送の新時代を切り開いた0系車両は3216両が製作された。引退車両はスクラップにされるが、一部の車両は大阪の交通科学博物館やさいたま市の鉄道博物館などで展示され余生を送っている。また、鉄道発祥の英国・ヨークの国立鉄道博物館には、JR西日本から寄贈された0系先頭車両が展示され人気を博している。07年には国産旅客機YS-11と並び、日本機械学会により「機械遺産」に認定された。

(朝日新聞出版 / 2008年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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