三C政策(読み)さんシーせいさく

精選版 日本国語大辞典 「三C政策」の意味・読み・例文・類語

さんシー‐せいさく【三C政策】

  1. イギリスの帝国主義政策の一つ。一九世紀後半、イギリスはインドカルカッタ(Calcutta 現コルカタ)、エジプトカイロCairo)、南アフリカケープタウン(Cape Town)を結ぶ三角地帯を勢力下に収めようとして、スエズ運河買収一八七五)以降、アフガン戦争ファショダ事件ブーア戦争を起こした。特にドイツの三B政策と対立、第一次世界大戦の原因の一つとなった。

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改訂新版 世界大百科事典 「三C政策」の意味・わかりやすい解説

三C政策 (さんシーせいさく)

インドのカルカッタ,エジプトのカイロ,南アフリカケープタウンのCを頭文字とする3地点を結ぶ地域を支配しようとするイギリスの帝国主義政策を指す。インドはイギリス帝国の中核であり,イギリスは1875年にスエズ運河を買収,82年にエジプトを保護下におくなど,インドにいたるルートの確保につとめた。またアフリカ大陸では北端のエジプトから南端ケープ植民地を結ぶ地域の支配をめざす大陸縦貫政策を推進した。三C政策は,アフリカでは大陸横断政策を進めるフランス衝突,98年にはファショダ事件をおこした。また近東ではロシア南下政策と,のちにバグダード鉄道敷設を中核とするドイツの三B政策と交差し衝突した。とくにドイツとの対立は,第1次世界大戦の原因の一つとなった。
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百科事典マイペディア 「三C政策」の意味・わかりやすい解説

三C政策【さんシーせいさく】

1875年スエズ運河買収以来,インドのカルカッタ,エジプトのカイロ,南アフリカのケープ・タウンを結ぶ三角地帯を勢力下におさめようとして進められた英国の帝国主義政策。名称は上記3都市の頭文字に由来する。ドイツの三B政策,フランスのアフリカ横断政策と鋭く対立し,植民地獲得競争が激化した。
→関連項目第1次世界大戦ファショダ事件ローズ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三C政策」の意味・わかりやすい解説

3C政策
さんシーせいさく
3C policy

19世紀末イギリスのアジア=アフリカ政策。エジプトのカイロとインドのカルカッタを結ぶ中東-南アジア,カイロと南アフリカのケープタウンを結ぶ東アフリカにイギリス勢力圏を確立して連結し,インド洋の制海権と通商航海の独占的地位を高めようというイギリス帝国主義政策。 3C政策はドイツの3B政策やフランスのアフリカ横断政策と衝突し,ロシアの南下政策とは対立するものであった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「三C政策」の解説

3C政策
さんシーせいさく

アフリカとインドを結ぶイギリスの帝国主義政策
1881年にエジプトを事実上の保護国とし,1910年に南アフリカ連邦を組織したイギリスは,カイロ(Cairo)・ケープタウン(Capetown)間のアフリカ縦断鉄道を計画した。これはインドのカルカッタ(Calcutta)と結ぶ世界政策を意味し,3拠点の頭文字をとって3C政策と呼ばれた。ドイツの3B政策やフランスのアフリカ横断政策と鋭く対立した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「三C政策」の解説

3C政策(さんシーせいさく)

19世紀後半以降のイギリスの帝国主義政策を説明する際に用いられる言葉。インドのカルカッタ,エジプトのカイロ,南アフリカのケープタウンを結ぶ三角地帯を勢力下に置こうとしたとされ,その3都市の頭文字をとった。

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