PSAプジョー・シトロエン(読み)ぴーえすえーぷじょーしとろえん(英語表記)PSA Peugeot Citroën

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

PSAプジョー・シトロエン
ぴーえすえーぷじょーしとろえん
PSA Peugeot Citroën

フランスの大手自動車会社。1976年にプジョーシトロエン傘下に収めて誕生し、2021年まで存在した。PSAは「プジョー株式会社Peugeot Société Anonyme」の頭文字。2019年時点で新車販売台数は世界9位だったが、2021年、欧米系のフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)と経営統合し、世界4位の自動車会社グループ、ステランティスとなった。

 プジョーが1974年、タイヤ・メーカーのミシュランとともに、石油危機で経営難に陥ったシトロエンに資金援助し、1976年にシトロエン株の89.95%を取得してPSAプジョー・シトロエンが誕生した(2016年にグループPSAに社名変更)。2014年に中国の東風汽車の出資をうけ、2017年にゼネラル・モーターズGM)傘下にあったドイツのオペルとイギリスのボクスホールを買収した。主要車種としてシトロエン、DS、オペル、プジョー、ボクスホールなどのブランドを保有。本社はパリ。2019年の世界新車販売台数は348万台、売上高は747億3100万ユーロ(9兆1100億円)、最終利益は32億ユーロ(3900億円)、従業員は20万9000人。

[矢野 武 2021年7月16日]

プジョー

プジョーは世界でもっとも長い歴史を有する自動車メーカーであり、1810年ジャン・ピエール・プジョーJean Pierre Peugeot(1768―1852)とジャン・フレデリック・プジョーJean Frédéric Peugeot(1770―1822)の兄弟が、スイスに近いフランス東部ドゥー県モンベリアルに設立した製鉄・刃物工場に始まる。その後一族工具、時計用スプリングなどを生産する。1882年にジャン・ピエールの孫アルマン・プジョーArmand Peugeot(1849―1915)が自転車の生産を始め、1889年に蒸気機関三輪自動車を製作、1890年にはドイツのダイムラー社製のガソリンエンジンを搭載した四輪自動車を5台生産した。1894年に史上初のパリ―ルーアン間自動車レースに出場し勝利を収める。その後自社開発のエンジンを搭載、1905年には年間400台の量産車「ベベ」を世に出した。1912年にモーター・スポーツ・イベントであるACFグランプリに参戦したプジョー社は、世界初のDOHCダブルオーバーヘッド・カムシャフト)を用いた4バルブ・エンジンを搭載したレーシング・カーで優勝、その後耐久レースのル・マンでも好成績を記録した。現在に至るまで伝統になっている0を挟む3桁(けた)数字のモデルの量産が始まったのは1929年のことであった。

[簗場保行]

シトロエン

シトロエン社の自動車生産は1919年にさかのぼる。オランダ人の父とポーランド人の母をもつ創業者のアンドレ・シトロエンAndré Gustave Citroën(1878―1935)は砲弾工場を自動車工場に転換。シトロエンは先見力のある技術者出身の企業家で、科学的管理法の導入をはじめ数々の経営革新を実現した。しかし「トラクシオン・アバン」(前輪駆動の意)の愛称で知られた画期的な設計思想の名車7および11シリーズの開発のため膨大な投資を行った同社は、世界恐慌の波に勝てず倒産し、1934年ミシュラン社の資本参加を得て再建、ミシュラン傘下でアンドレの遺産である同車の生産が継続された。同じくシトロエンの代表車となるモデルTPV(後の2CV)が1935年に誕生する。TPVは軽量で簡単な構造のため経済性が高く、しかもその奇抜なデザインから多くのファンを集め、1987年まで生産されて同社の代名詞となったモデルである。1955年には7、11シリーズの後継車として、独創的なメカニズムと宇宙船と評されたデザインの上級車DSシリーズを発売、統合後の1974年以降に発表されたCXシリーズに継承された。

[簗場保行]

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