アラワク(その他表記)Arawak

改訂新版 世界大百科事典 「アラワク」の意味・わかりやすい解説

アラワク
Arawak

アラワク系の言語を話す部族総称。その部族数は南アメリカで最も多く,同名の部族をはじめとして120を超える。居住地域は,北はアンティル諸島から南はウルグアイにまで及んでおり,アマゾン川下流に始まって最上流のアンデス東斜面に至るまで散在している。大まかにいえば,アマゾン川を遡行して一方はマナウスよりネグロ川沿いにコロンビアベネズエラに,他方は本流に沿ってペルーボリビア,あるいはマデイラ川沿いのブラジルに居住する部族が多い。人口はペルーのカンパ族のように4万近く(1975)を数えるものから,ブラジルのメヒナク族のように100名以下(1976)のものまであり,白人との接触以後激減している。アラワクという語は既に16世紀の探検記に見られ,地理的に島嶼アラワクと内陸アラワクに大別するのが普通である。言語的にもこの2者間には英語とフランス語の間以上の隔りがあるといわれている。このように広範囲に住むアラワク系諸族の歴史的起源,移動についての定説はまだない。考古学的には,南アメリカ北西部に起源を置く説がある。それによれば,前3000-前2000年に拡散が起こり,ベネズエラ,コロンビアの西部リャノへ進んだとされる。さらにネグロ川に移りアマゾン川中流より上流,モンターニャ(アンデス山脈東斜面下部の熱帯雨林)に広がったとされ,西部リャノを西へ向かった集団はオリノコ川を下り,1世紀にはアンティル諸島へ移ったというものである。またアマゾン川中流域をアラワクの起源の地とする考古学者もいる。このほか,原アラワク集団が4000~5000年前にペルーのアマゾン川最上流であるウカヤリ川とマドレ・デ・ディオス川の水源付近にあったとする言語年代学による説もある。現在アラワク系諸族は,その広がりや他部族からの影響によって共通する特性を抽出することは困難になっているが,歴史的には,南アメリカにおけるマニオク栽培,土器製作,カヌーハンモックの使用をこの部族と関連づける説もある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アラワク」の意味・わかりやすい解説

アラワク
あらわく
Arawak

南アメリカおよびカリブ海地域の先住民集団。広義にはアラワク語族に属する言語を話す数多くの集団の総称であるが、狭義には南アメリカ大陸カリブ海岸に住むロコノLoconoをさす。大アンティル諸島で最初に白人と接触したのはアラワクであったが、敵対していたカリブ系先住民およびスペイン人によってカリブ海地域からはほとんど駆逐されてしまった。現在のアラワクはアマゾン盆地周辺の広い地域に散在している。居住地は海岸(グアヒロGuajiro)、川の上流の熱帯雨林(カンパCampaなど)、草原(モホMojoなど)とさまざまであり、国家の力が及びにくい辺境の地が多い。定着して焼畑農耕を主たる生業としているが、狩猟、漁労も重要である。カリブ海のアラワクを除いては、村を超える大きな単位の政治組織はなく、各村の首長の権力もあまり強くない。ギアナのアラワクは食人を行ったといわれるが、アラワク全体に共通する特徴ではない。宗教においては、病気の治療を行うシャーマンが重要である。

[木村秀雄]

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百科事典マイペディア 「アラワク」の意味・わかりやすい解説

アラワク

アラワク系の言語を話すアメリカ・インディアンの総称で,北は西インド諸島から南はウルグアイ,東はアマゾン川に,西はアンデス山脈にわたる地域に散在する約120の部族を含む。未分化な社会階層,単純な宗教儀礼など,いわゆる南米熱帯降雨林文化をもつ。形質上の地域差は大きい。
→関連項目カリブカリブ海バルバドス

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アラワク」の解説

アラワク(語族)(アラワク(ごぞく))
Arawak

カリブ海諸島から南アメリカ大陸の大西洋沿岸および内陸に分布する大語族。約130の言語よりなる。先コロンブス期の大アンティル諸島の大部分では「タイノ」と呼ばれるアラワク語族の住民が,多くの首長制社会を形づくり,トウモロコシやマニオックをコヌコという独特の農法で栽培していた。「タバコ」「カシケ」「マイス」のようないくつかのアラワク語の語彙は,スペイン語に取り入れられて大陸部に伝わったが,民族集団としてのタイノは,スペイン人と接触後ほとんど絶滅した。

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世界大百科事典(旧版)内のアラワクの言及

【アメリカ・インディアン】より

…16世紀初頭,チブチャ族その他が首長とそれに近い近縁者を貴族層とする階層化した社会を成立させていた。カリブ海の島々は,キューバ島の一部にシボネイ族,大アンティルにアラワク語系,小アンティルからベネズエラにかけてカリブ語系の諸族が住んでいた。アラワク語系では,イスパニオラ島やプエルト・リコ島タイノ族が階層分化した社会を形成し,セミという独特の石彫や,球戯場や球戯用の石彫ベルト,刻文や浮彫の土器などをもち,灌漑を用いてマニオクやトウモロコシの集約的農業を営んでいた。…

【カリブ海】より

…15世紀末以来この地域は,近世以降のヨーロッパの発展と重要なかかわり合いをもちつつ,独自な歴史世界を形成,発展させてきた。1492年,コロンブスらの一行が最初のヨーロッパ人としてこの地域に到来した頃,これらの島々にはアラワク(もしくはタイノ),シボネイ,カリブと呼ばれる三つの先住民部族がいた。しかし大陸のアステカやマヤ,インカに比べてはるかに低い発展段階にとどまっていた彼らは,スペイン人による征服,苛酷な労役,さらにヨーロッパからもたらされた疫病などにより,急速にその数を減らし,スペイン人到来からほぼ1世紀後には小アンティル諸島やベネズエラ沿岸に残った少数のカリブ族以外はほぼ絶滅してしまった。…

【キューバ】より


【歴史】

[植民地時代の初期]
 キューバは1492年コロンブスの第1回航海中に〈発見〉された。スペイン人による征服以前のキューバ島にはシボネーCiboneyesおよびタイノTainosもしくはアラワクArawaksと呼ばれた原住民がいたが,比較的低い発展段階にあった彼らは,1511年にこの島に到来したスペイン人のD.deベラスケスが率いる遠征隊によって征服され,その後スペイン人による虐待や,彼らがもたらした疫病により,ほぼ1世紀後にはほとんど絶滅してしまった。スペインの植民地キューバは金の採掘によって一時繁栄したが,金が枯渇し,さらにスペイン人の植民活動の重心が大陸のメキシコやペルーに移動するにつれて,早くも16世紀半ばには停滞期に入ってしまった。…

【バルバドス】より

…そのほかの産業は観光,綿花栽培など。
[歴史]
 1518年スペイン人がバルバドスを〈発見〉した際,アラワク,シボネイと呼ばれる先住民のグループがいたが,その後18年間にイスパニオラ島へ奴隷労働力として彼らを強制移住させたため,36年には無人島と化した。1624年イギリス人が来島し,3年後居留地を建設した。…

※「アラワク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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