イギリスの天文学者。近代における天文観測の大家である。アバディーンの時計製作者の家に生まれ,家業を継ぐために同地の大学で2年学んだ後スイスで時計製作の修業を2年積んだ。帰郷してギルは父の事業を継いだが,その間にしだいに天文学への関心を深めて,簡易経緯儀による天体観測から時刻を求めてアバディーン市の保時に役だてたり,30cm反射望遠鏡にマイクロメーターを取り付けて恒星の年周視差の測定に取り組んだりした。こうして10年を経たころ,リンゼー卿の知遇を得て,おりから建設された彼の個人天文台に雇われ,1872-76年の間同天文台の整備,管理に尽力した。この間にギルはヘリオメーターの観測に習熟したのである。
ギルの功績はヘリオメーターによる火星や小惑星の観測から太陽視差の信頼できる値を求めたことで,77年の火星の大接近の観測から太陽視差8.″78を,また後年の小惑星ビクトリア,アイリス,サフォーの観測から改良値8.″80を得た(1889)。この太陽視差の値はその後長らく基本天文定数として用いられ,今世紀後半になって金星のレーダー観測やマリナー飛翔(ひしよう)体による観測が行われるようになった1968年に至って8.″794に改められたのである。ギルはまた現代の天文測定学の基礎を築いた人でもある。すなわち1879年にアフリカ南西端の王立ケープ天文台長に任ぜられたが,そこでJ.C.カプタインと協力し10余年を費やして約50万個の恒星を含むケープ写真掃天星表を完成した。これは北天のボン掃天星図・星表を南天に拡張したものである。ギルは1906年まで天文台長の職にあって王立ケープ天文台の拡充に尽くした。1882年と1908年の2度にわたって王立天文学会金賞牌を受賞し,1900年にはナイト爵を授けられた。
執筆者:堀 源一郎
フランスの詩人,詩論家。ベルギーの出身。詩的エッセー《魂と血の伝説》(1885)で認められ,マラルメの弟子に数えられる。マラルメの序文を添えた《語論》(1886)では,ランボーの《母音》のソネに着想を得て,語の音韻的要素を器楽の音色になぞらえた象徴詩論を展開し,後に象徴主義の一分派をなした。詩は象徴によって観念世界に到達する手段となりうるという主張を,色彩,音楽など多岐にわたる科学的知識で裏付けようとするギルの詩論は,象徴詩の理論面における発展に貢献した。三部作の《著作》すなわち《至善の言葉》(1889),《血の言葉》(1898),《法の言葉》(1936)はその集大成である。
執筆者:田中 淳一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イギリスの彫刻家、批評家。版画、石彫、挿絵、建築図案などの分野で、中世ゴシック、インド、エジプト芸術の影響のもとに、宗教的色彩の濃い作品を発表して注目される。ギル・タイプとよばれる古雅な活字書体の創始者としても有名。のちにカトリックに改宗。工業生産より手工業を重んじ、商業主義の傾向に抗して、人間性の回復を主張した。著作に『タイポグラフィー論』『キリスト教と機械主義』『自叙伝』『衣裳(いしょう)論』など。
[玉泉八州男]
…以後もローマン書体の改良が進められ,18世紀の末期から19世紀の初期には,フランスのディド一家,イタリアのボドニCaveliere Giambattista Bodoni(1740‐1813)らの優れた技術によってモダンローマン書体の基礎が作られた。さらに19世紀末から20世紀にかけてはアメリカのガウディFrederic William Goudy(1865‐1947),イギリスのギルEric Gill(1882‐1940)ら多数のデザイナーが新しい活字を作り出した。このように欧文活字の書体は,種類が非常に多く複雑のようであるが,図案的に同一系統の書体は,字幅の広狭,字面の黒さ(ウェイトという)の軽重の変化に応じて,それぞれシリーズseriesにまとめられ,その各シリーズを集めて一つのファミリーfamilyができている。…
※「ぎる」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加