チャールズ・ティファニーが1837年にニューヨークで創業。当初は文房具と小物の店だったが、現在は、宝飾品や装身具、時計、香水、時計まで幅広い商品を扱い、世界中に300店舗以上を展開。米国を代表する高級ブランドとなった。ニューヨーク中心部5番街の本店は「トランプタワー」の隣にあり、トランプ米大統領の誕生に伴う周辺の警備強化で客足が遠のいたとされた。(共同)
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アメリカのアール・ヌーボーのガラス工芸家,デザイナー。ニューヨークの有名な宝石商C.L.ティファニーの息子としてニューヨークで生まれる。はじめは印象派スタイルの風景画家として名をなしたが,フィラデルフィア百年記念展に自らの作品を出品したとき,日本美術,とりわけ工芸品の展示品を見て深く感動し,工芸分野への関心を高めた。まずステンド・グラスの制作を開始し,1878年にガラス工房を設立して,積極的にガラス工芸活動を行った。79年,友人たちとともに〈Louis C.Tiffany & Company with Associated Artists〉をおこし,インテリア一般のデザインを行った。82年にこの連合会社を解散して,85年にティファニー・ガラス会社を設立した。彼の作風は,アール・ヌーボーにおけるガラスのなかでも,自ら〈ファブリル・グラスFavrile glass(ラスター彩のガラス)〉と呼ぶ一つのジャンルを形成し,ガラス器,ランプシェード,ステンド・グラス,モザイクなどに,ピーコック(クジャク)・パターン,イリデセンス(真珠貝の虹色),豊かなやわらかい印象派風の色調と構図を特徴とした。さらに彼の活動は,92年に設立した〈ティファニー・ガラス装飾会社〉(通称ティファニー・スタジオ)を中心に,ガラスのほか,金工,宝飾,皮革,家具,インテリア・デザイン,その他工芸全般にわたって広範に展開された。1902年彼の父の死後は宝石店にも力を入れた。18年にはティファニー・ファンデーションを設立して,ティファニー・スタジオは事実上ファンデーションの中に吸収,縮小された。彼の死の前年,ティファニー・スタジオは破産したが,ティファニーの死後も,役員の一人ジョゼフ・ブリッグズによって38年まで続けられた。
執筆者:由水 常雄
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アメリカの工芸家。有名な宝石店ティファニー商会の創立者チャールズ・L・ティファニーCharles Lewis T.(1812―1902)の子としてニューヨークに生まれる。当初画家を志してフランスなどヨーロッパ各地を旅行したが、1870年代末から工芸に対する関心を深め、陶磁、金工、宝飾、家具、インテリア、染織などさまざまな分野で活躍した。なかでもアール・ヌーボーのガラス工芸は有名で、自ら「ファブリール・グラス」と名づけた柔らかな虹色(にじいろ)の光沢のあるガラスでつくった花器やランプシェードは、ティファニー・グラスとして広く知られている。また、ボナールやビュイヤールやロートレックのデザインによるステンドグラスの制作も手がけた。
[谷田博行]
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…54年ベネズエラ,プエルト・リコに海外進出,その後活動範囲を広げ,現在では日本を含む三十数ヵ国で訪問販売を行っており,海外での売上高は6割強に達する。また,79年ニューヨークの高級宝飾品店ティファニーTiffany & Co.を買収(1984年売却を決定)するなど,経営多角化にも努めている。トイレタリー用品,アパレル,ギフト・アクセサリーなども多い。…
※「ティファニー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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