日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビュイヤール」の意味・わかりやすい解説
ビュイヤール
びゅいやーる
Edouard Vuillard
(1868―1940)
フランスの画家。退役士官の父が収税吏として赴任したソール・エ・ロアール県キュイゾーで11月11日に生まれる。1877年一家はパリに戻り、給費生としてリセ・コンドルセに通い、ここで後のナビ派の画家ルーセルやドニらと親交を結ぶ。84年の父の死後、母は婦人服の仕立屋を経営して家計を支えた。やがてルーセルの感化で画家を志し、88年アカデミー・ジュリアンに入る。同塾でボナール、セリュジエ、ランソン、イベルスらを知り、80年代末に彼らとともにナビ派を結成した。このナビ派の時代(1890年代)には、ナタンソン兄弟の主宰する雑誌『ルビュ・ブランシュ』と密接な関係をもつとともに、友人の演劇人リュネ・ポーの制作座の舞台装置やプログラムもデザインした。その大胆な色彩による平面的で装飾的な画面構成は、ゴーギャンや日本の浮世絵の影響を示している。
彼は室内の親密な情景など平凡な日常生活を好んで描き、ボナールとともに「アンティミスト」(親密派、内景派)の代表的な画家となる。20世紀に入ってその描法は穏やかでバランスのとれたものとなるが、晩年には伝統的な傾向をみせ、やや生彩を欠くものとなった。生涯独身を通し、しばしば彼の絵に登場する母親が1928年に他界するまで、親子水入らずの生活を送った。40年6月21日ブルターニュのラ・ボールで没。死後50年目の1990年にその日記が公開されることになっている。代表作には『パリの公園』(1894・パリ国立近代美術館。元来は九枚の装飾パネルからなる連作)などがある。
[大森達次]
『S・プレストン著、木島俊介訳『ヴュイヤール』(1974・美術出版社)』