フランスの画家。退役士官の父が収税吏として赴任したソール・エ・ロアール県キュイゾーで11月11日に生まれる。1877年一家はパリに戻り、給費生としてリセ・コンドルセに通い、ここで後のナビ派の画家ルーセルやドニらと親交を結ぶ。84年の父の死後、母は婦人服の仕立屋を経営して家計を支えた。やがてルーセルの感化で画家を志し、88年アカデミー・ジュリアンに入る。同塾でボナール、セリュジエ、ランソン、イベルスらを知り、80年代末に彼らとともにナビ派を結成した。このナビ派の時代(1890年代)には、ナタンソン兄弟の主宰する雑誌『ルビュ・ブランシュ』と密接な関係をもつとともに、友人の演劇人リュネ・ポーの制作座の舞台装置やプログラムもデザインした。その大胆な色彩による平面的で装飾的な画面構成は、ゴーギャンや日本の浮世絵の影響を示している。
彼は室内の親密な情景など平凡な日常生活を好んで描き、ボナールとともに「アンティミスト」(親密派、内景派)の代表的な画家となる。20世紀に入ってその描法は穏やかでバランスのとれたものとなるが、晩年には伝統的な傾向をみせ、やや生彩を欠くものとなった。生涯独身を通し、しばしば彼の絵に登場する母親が1928年に他界するまで、親子水入らずの生活を送った。40年6月21日ブルターニュのラ・ボールで没。死後50年目の1990年にその日記が公開されることになっている。代表作には『パリの公園』(1894・パリ国立近代美術館。元来は九枚の装飾パネルからなる連作)などがある。
[大森達次]
『S・プレストン著、木島俊介訳『ヴュイヤール』(1974・美術出版社)』
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フランスの画家,版画家。ソーヌ・エ・ロアール県のキュイゾーCuiseauxに生まれる。ナビ派の一人。はじめ,ゴーギャン,浮世絵版画の影響のもとに,平坦な色面を用いた装飾的な作品を描き,室内の装飾パネルも手がける(1894年のナタンソン家,1913年のシャンゼリゼ劇場)。しかし,ビュイヤールの本領は,パリの小ブルジョアジーの,いくぶん倦怠感ただよう気分を濃厚に反映したいかにも親密な室内画(そこでは繊細な筆触によって,人物は周囲に溶けこむかのようである)にあり,この点でボナールとともにアンティミストIntimistes(親密派)と称される。ロアール川下流域の保養地ラ・ボールで没。
執筆者:本江 邦夫
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