デジタル大辞泉
「一朱銀」の意味・読み・例文・類語
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いっしゅ‐ぎん【一朱銀】
一朱銀〈文政〉
- 〘 名詞 〙 江戸時代、一両の十六分の一の価値に当たる銀貨。文政一二年(一八二九)創鋳のものと嘉永七年(一八五四)創鋳のものと二種があるが、維新以後嘉永一朱銀を再鋳したものも区別して三種とする説もある。
- [初出の実例]「壱朱銀両替に付切賃之儀」(出典:御触書天保集成‐九一・文政一二年(1829)七月)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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一朱銀 (いっしゅぎん)
江戸時代の定位銀貨の一種であり,一朱銀16枚で小判1両に相当した。文政12年(1829)7月に創鋳され,文政南鐐一朱銀と呼ばれた。南鐐というのは良質の銀を意味しており,文政7年発行の文政南鐐二朱銀と同じように上銀であったが,量目は二朱銀の7.5gに対し半量以下の2.62gとなっており改悪されていた。ついで嘉永7年(1854)1月発行の嘉永一朱銀はさらに減量して1.87gとなった。当時,銀1朱は銭250文に相当しており,品川湾(現,東京湾)岸において,沿岸防備の目的で築造中の台場(砲台)の人夫の日当の支払いに用いられていたので,一朱銀は〈お台場〉とも呼ばれた。慶応4年(1868)4月から翌明治2年(1869)2月まで,貨幣司吹一朱銀(別称,吹継一朱銀)が鋳造された。
執筆者:作道 洋太郎
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一朱銀【いっしゅぎん】
江戸時代の銀貨で,1両の16分の1にあたる。1829年(文政12年)創鋳のものと,1854年(嘉永7年)の創鋳のものがある。はじめ良質の銀を用いて文政南鐐(なんりょう)一朱銀と称されていたが,しだいに改悪されていった。銀一朱は当時銭250文(もん)に相当し,沿岸防備のために建設されていた台場(砲台)の人夫に日当分として支払われていたので〈お台場〉とも通称された。1868年4月から1869年2月まで吹継(ふきつぎ)一朱銀とよばれる劣位の一朱銀を鋳造している。
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