三種(読み)ミクサ

デジタル大辞泉 「三種」の意味・読み・例文・類語

み‐くさ【三種】

三つ種類。「三種宝物(=神器)」
「己が養へる―の虫を」〈・下〉
練り香の一。麻香・沈香じんこう白檀びゃくだん甘葛煎あまずらせんで練り、檳榔子びんろうじの皮を入れたもの。

さん‐しゅ【三種】

《「さんじゅ」とも》三つの種類。
第三種郵便物」の略。

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精選版 日本国語大辞典 「三種」の意味・読み・例文・類語

さん‐しゅ【三種】

〘名〙 (「さんじゅ」とも)
① 三つの種類。三種類のもの。〔法華義疏(7C前)〕
※塩山和泥合水集(1386)「三種の滲漏あり、情滲漏、見滲漏、語滲漏なり」 〔観無量寿経
園太暦‐観応二年(1351)一二月一八日「条々以具忠朝臣申候、就中彼三種事、悉可渡候也」

み‐くさ【三種】

〘名〙
① 三種類。
古事記(712)下「己が養へる三種(みくさ)の虫を、大后に献りき」
② 香の名。麻香・沈香・白檀甘葛煎(あまずらせん)で練って、檳榔子の皮を入れた香。〔日葡辞書(1603‐04)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「三種」の意味・わかりやすい解説

三種[町] (みたね)

秋田県北西部,山本(やまもと)郡の町。2006年3月琴丘(ことおか),八竜(はちりゆう),山本の3町が合体して成立した。人口1万8876(2010)。

三種町南部の旧町。山本郡所属。人口5769(2005)。八郎潟の東に位置する。中心集落の鹿渡(かど)は八郎干拓以前は潟漁業の中心地で,1955年ころは全戸数の1/4近くが漁業に従事していた。57-66年の八郎潟干拓工事の北部基地にあたり,干拓地へは新生大橋が建設され,大潟村への入口となっている。八郎潟干拓により漁業は衰退し,漁民の多くは干拓による地先増反地の配分をうけ農業に転業した。基幹産業は米作を中心とした農業で,タバコの栽培も盛ん。東部の上岩川は秋田杉の産地で畜産も行われる。JR奥羽本線が通り,秋田自動車道の琴丘森岳インターチェンジがある。

三種町北西部の旧町で,八郎潟北部に位置する。山本郡所属。人口6961(2005)。西部の日本海岸には新砂丘,東部には旧砂丘が発達する。中央部は沖積地からなり,八郎潟中央干拓地(大潟村)との境には承水路がある。近世以来,浜口地区を中心に八郎潟漁業が行われたが,昭和30年代の八郎潟干拓によって農地が拡大され,米作を中心とした農業が主産業となった。砂丘地帯ではメロン,スイカ,タバコが栽培され,近年はシイタケ栽培も盛ん。飯塚の大山家住宅(重要文化財)は19世紀初期の典型的な中門造である。秋田自動車道のインターチェンジもある。

 芦崎にある姥御前神社は脚摩乳(あしなずち)をまつり,手摩乳をまつる三倉鼻(旧琴丘町と八郎潟町の境にある岩山)とともに八郎潟の成立に関する伝説を伝える。昔,八郎という者が老夫婦の家に泊まり,鶏鳴の時刻に大湖が生じるからともに逃げようと誘うが姥はおくれをとり,鶏鳴の時がきて溺れそうになる。八郎が姥を蹴上げたところこの地に落ちて姥御前神社にまつられ,一方,老父は三倉鼻に夫殿(おとどの)大権現としてまつられた。以後,芦崎の地では鶏を飼うことがなかったという(《六郡郷村誌略》)。

三種町北部の旧町。山本郡所属。人口7708(2005)。東部はほとんどが山林で占められ,西部の三種川沿いに水田が広がり,八郎潟の干拓地に続いている。中心集落の森岳(もりたけ)は古くは〈もりおか〉といい,江戸時代に山本郡の郡奉行所が置かれた地で,羽州街道の宿駅としても栄えた。主産業は農業で,米は郡内一の生産高を誇る。北部の金岡地区の洪積台地は国営総合開拓パイロット事業で開田され,大規模経営が行われている。東部の下岩川地区では林業も盛んである。森岳の角助堤(かくすけつつみ)ではジュンサイを特産する。南部の木戸沢には1952年石油の試掘中に発見された森岳温泉(食塩硫化水素泉,62℃)がある。8月15日に八幡神社に森岳歌舞伎が奉納される。JR奥羽本線が通る。
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