上高井郡
かみたかいぐん
面積:一一七・八三平方キロ
高山村・小布施町
県の北東部、千曲川右岸に位置する。明治一二年(一八七九)一月郡区町村編制法により高井郡が二分されて成立。昭和二九年(一九五四)市町村合併促進法により、中部に須坂市成立、更に南部に成立した若穂町は同四一年長野市へ合併。近世の慣習に北部を下とよんだことから上高井としたようである。
東は北から池ノ塔山(南に白根山)・万座山(満山)・御飯岳・破風岳の稜線で群馬県吾妻郡と境、北は池塔山より西方へ笠ヶ岳・三沢山(桑山)・屠屋場山、北西に尾根を下り篠ノ井川沿いに立ヶ花南の千曲川までで下高井郡山ノ内町・中野市と境、南は東から破風岳・奈良山・明覚山の線、北折して道境で松川、西折して松川・千曲川まで須坂市豊丘・日滝・豊洲地区と境、西は北の立ヶ花南よりほぼ千曲川境で上水内郡豊野町と接す。群馬県境御飯岳から支脈大平山が北西に派出し、この間を松川と支流樋沢川がほぼ西流し下流西岸に松川扇状地を形成する。生産地帯は右岸の小布施扇状地・左岸日滝原扇状地の扇頂高井野原、千曲川・篠ノ井川の狭小な沖積地とである。交通は、東は群馬県吾妻郡へこれら河川の上流を越す渋峠・山田峠・万座峠・毛無峠、北方へ山田峠・間山峠・大熊峠、西は千曲川に山王島渡があって北国脇往還と千曲川右岸を結んだ。現在山王島橋となり、信越線豊野駅と結ばれる。南へは南北に通じる谷筋道(谷街道)と支道が上松川・松川・下松川の三橋で須坂市へ通じる。
〔原始〕
山間や河川沿いに小遺跡が多く、無土器文化は小布施町雁田・高山村荒井原等に少量の尖頭器が発見されている。縄文時代は早期・前期の山間からしだいに低地化し、中期・後期・晩期は扇端・平坦部山脚に小遺跡をとどめる。弥生時代の中期・後期も扇端や山脚から篠ノ井川沖積地にみられるが、山間の高山村牧の湯倉洞穴・どん原等にもみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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