古津(読み)ふるつ

百科事典マイペディア 「古津」の意味・わかりやすい解説

古津【ふるつ】

近江国滋賀郡にあった津の名称。大津古称。天智天皇の近江大津宮の時代に要津(つまり大津)であったところ,672年の壬申(じんしん)の乱後に大津宮が廃されたため,古都の津となり,やがて古津と称されたのであろう。あるいは761年に同じ近江国に保良(ほら)宮が置かれて瀬田川河口部の粟津(あわづ)が大津とされたので,これに伴って古津とされたと考えられる。794年桓武天皇は平安京遷都に伴って古津を大津と改めているが,かつての佳名の大津を復活させたという(《日本紀略》)。768年に奈良西大寺に施入された古津荘があり,荘家(しょうけ)と墾田からなっていたが,12世紀末までには実体を失っていたようである。1277年には古津浜で若狭(わかさ)国太良(たら)荘年貢米などを荷揚げしている。なお《近江輿地志略》では〈こつ〉と訓じている。

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改訂新版 世界大百科事典 「古津」の意味・わかりやすい解説

古津 (ふるつ)

現在の滋賀県大津の古称。794年(延暦13)桓武天皇は平安京遷都にともない,古津を大津と改めた。古津は天智天皇の近江大津宮にあたり,新都平安京に接するので,昔の佳名大津にもどしたとする(《日本紀略》)。古津とは,大津宮が壬申の乱(672)で廃絶した後その名が失われ,古都の津であったことが地名として定着したのであろう。また古津荘は,780年(宝亀11)の《西大寺資財流記帳》によれば,768年(神護景雲2)西大寺に施入されたもので,荘家と墾田からなり,田園山野の範囲を示す荘園が作成されていた。同寺の12世紀末の所領注文では,転倒荘々に分類されており,用地の広さ,所在地も不明で,実体を失ったものとなっている。《荘園志料》は,古津荘を《和名抄》の滋賀郡古市郷の荘園になったものとするが,はっきりしない。
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世界大百科事典(旧版)内の古津の言及

【大津[市]】より

…【井戸 庄三】
[歴史]
 667年の大津京遷都(近江大津宮)のころよりその地名がみえる。大津京が廃都となってのちは,古津(ふるつ)とも呼ばれたようで,794年(延暦13)の平安遷都直後には,古津の呼称を昔の大津に改めるべしという詔が発せられている。平安京遷都以後は,京都の東の外港として栄え,はやく《蜻蛉日記》はその殷賑(いんしん)の有様を描いて,〈いとものむつかしき屋ども〉が建ち並び,近辺の浜には〈湖面(うみづら)にならびてあつまりたる屋どものまへに,船どもをきしにならべよせつゝあるぞいとおかしき〉と記す。…

※「古津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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