鎌倉中期の歌人。為家の三男、母は宇都宮頼綱(よりつな)の女(むすめ)。京極(きょうごく)、また毘沙門堂(びしゃもんどう)と称する。右兵衛督(うひょうえのかみ)、従(じゅ)二位。『続後撰(しょくごせん)集』以下の勅撰歌人。兄為氏と不和で、その撰になる『続拾遺(しょくしゅうい)集』に子女、為兼・為子の入集(にっしゅう)数が少ないのを不満として亀山(かめやま)院に申状を奉ったが却下され、兄を恨んで「限りある命を人にいそがれて見ぬ世の後をかねて知りぬる」と詠じ、弘安(こうあん)2年5月24日没。二条、京極両家の対立の原因をつくった人物である。歌風は後の京極派の萌芽(ほうが)を示す。
露ふかき庭の浅茅(あさぢ)に風すぎて名残(なごり)涼しき夕立の空
[岩佐美代子]
[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...