伊丹廃寺(読み)いたみはいじ

日本歴史地名大系 「伊丹廃寺」の解説

伊丹廃寺
いたみはいじ

[現在地名]伊丹市緑ヶ丘四丁目・同七丁目

猪名いな川と武庫むこ川に挟まれた伊丹段丘上、標高三一メートル前後の台地東縁部に立地する寺跡。奈良時代前期から鎌倉時代後期まで存続したと推定され、昭和三三年(一九五八)水煙・九輪片が発見され、同年に最初の発掘が行われた。以後同四一年までの調査によって国の史跡に指定。伽藍配置は東に金堂、西に塔を配した法隆寺式で、金堂・塔を回廊で囲み、回廊四方にそれぞれに門を開く。金堂の北に講堂を置き、その東西には南北に長い掘立柱建物が存在する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊丹廃寺」の意味・わかりやすい解説

伊丹廃寺
いたみはいじ

兵庫県伊丹市緑ヶ丘にある、7世紀後半建立の寺院跡。1958年(昭和33)より7年間にわたる調査の結果、伽藍(がらん)配置は法隆寺式であるが講堂は東に寄り、金堂(こんどう)と中軸線をそろえていた。仏堂の基壇は塔が塼(せん)、金堂は塼と栗石(くりいし)、講堂は栗石で化粧をしている。水煙、九輪(くりん)、風鐸(ふうたく)など塔の相輪部の金具塼仏などの荘厳具(しょうごんぐ)が出土した。出土遺物から平安時代後期に罹災(りさい)していることがわかる。摂津の代表的な寺院跡である。

[猪熊兼勝]

『高井悌三郎著『摂津伊丹廃寺』(1966・伊丹市)』

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