新郷村(読み)しんごうむら

日本歴史地名大系 「新郷村」の解説

新郷村
しんごうむら

[現在地名]氷上町新郷

東縁を佐治さじ(加古川)が流れ、同川を隔てて東は稲継いなつぎ村・本郷ほんごう村、西は茅野山(八二七メートル、現篠ヶ峰)を境に播磨国多可たか郡。延文三年(一三五八)二月一〇日の足利義詮下文案(久下信生家文書)に「丹波国新郷」とみえ、久下貞重に勲功の賞として宛行われている。この新郷は明応八年(一四九九)一一月一九日の久下道祖増丸本知行注文(同文書)にみえる「沼貫新(郷)」をさすものと思われる。

天正一一年(一五八三)八月一八日の羽柴秀勝黒印状(五藤文書)に「新郷」とみえ、当地のうち五〇石余が赤尾孫介に加増されている。

新郷村
しんごうむら

[現在地名]佐賀市北川副町きたかわそえまち大字新郷

八田江はつたえの東、木原きはら村の南にあたる低平な水田地帯。八田村下武しもたけいま村などの集落を含めて総称する場合もある。

永仁二年(一二九四)七月の源相政小野高意連署奉書(河上神社文書)に「肥前国一宮河上座主弁髪 与同国河副新合名頭長与左衛門尉家経相論」として「新合名」(新郷名)がある。河上社の地蔵菩薩の供料米を新合名が負担していた。これは元亨元年(一三二一)藤原能泰田地避状写(同文書)に「河上宮地蔵菩薩仏性燈(ママ)料河副庄新郷 右地用米毎年弐拾壱 (ママ) 奉引度田地弐町」とあることでも確認される。河上社や高城こうじよう寺などと河副庄が関係深いのは、当時開発が急速に進んでいた干拓地であったことから、これらの土地の寄進が行われたものと思われる。

新郷村
しんごうむら

面積:一五二・三九平方キロ

三戸郡の北西部に位置し、東は倉石くらいし村・五戸ごのへ町、西は上北郡十和田湖町、南は南部なんぶ町・三戸町、北は十和田市に接する。奥羽山脈から連なる丘陵台地に立地し、ほとんどが山地で占められる。西端にはッ岳(一一五九・四メートル)大駒おおこまヶ岳(一一四四メートル)からなる戸来へらい岳がそびえる。中央を五戸川、南を浅水あさみず川が北東流し、沿岸にわずかな低地が開ける。集落は五戸川とその支流の三川目みかわめ川流域の戸来地区と浅水川流域の西越さいごし地区に二分される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新郷村」の意味・わかりやすい解説

新郷〔村〕
しんごう

青森県南東部,十和田湖東方の村。 1955年戸来 (へらい) ,野沢の2村が合体して成立。村域の大半が山地。乳牛飼育が盛んで,バター工場が立地している。酪農や高原野菜栽培も普及している。面積 150.77km2人口 2197(2020)。

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