横井玉子(読み)よこい・たまこ

朝日日本歴史人物事典 「横井玉子」の解説

横井玉子

没年:明治36.1.4(1903)
生年:安政2.9.12(1855.10.22)
明治期の教育家。肥後国(熊本県)高瀬藩の家老原尹胤の次女として,江戸藩邸で生まれる。夫は横井小楠の甥左平太(時治)。横井津世子,矢嶋楫子姉妹らの薫陶を受け,浅井忠に油絵を学ぶ。女子学院に奉職,裁縫,礼式,割烹,洋画を教え,舎監を務める。明治34(1901)年女子美術学校(女子美大)を創立した。日本基督教婦人矯風会の種々の請願発起人のひとりでもあった。<参考文献>『女子美術大学八十年史』,林えり子『続・結婚百物語』

(村上雍子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横井玉子」の解説

横井玉子 よこい-たまこ

1855-1902 明治時代の教育者。
安政2年9月12日生まれ。明治5年横井小楠(しょうなん)の甥横井佐平太と結婚。夫の死後,東京の新栄女学校(のち女子学院)で裁縫や洋画などをおしえる。33年藤田文蔵らの協力で女子美術学校(現女子美大)を創立,舎監兼幹事となった。明治35年12月31日死去。48歳。肥後(熊本県)出身旧姓は原。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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