行願寺(読み)ギョウガンジ

デジタル大辞泉 「行願寺」の意味・読み・例文・類語

ぎょうがん‐じ〔ギヤウグワン‐〕【行願寺】

革堂こうどう

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精選版 日本国語大辞典 「行願寺」の意味・読み・例文・類語

ぎょうがん‐じ ギャウグヮン‥【行願寺】

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日本歴史地名大系 「行願寺」の解説

行願寺
ぎようがんじ

[現在地名]中京区行願寺門前町

竹屋町たけやまち通が寺町てらまち通に突当たる付近、寺町通に西面して位置する。れいゆう山と号し、天台宗本尊千手観音革堂(かわどう・こうどう)ともいう。西国三十三所観音霊場第一九番札所。初め一条小川新おがわしん町にあり一条北辺堂ともよばれていた。「日本紀略」永祚元年(九八九)八月一三日条に、かも川氾濫のために「一条北辺堂舎」が倒壊したとある。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔開山行円〕

行願寺としての草創は、行円が建立供養を行った寛弘元年(一〇〇四)一二月一一日であり(百錬抄・日本紀略)、三蹟の一人藤原行成が寺額を書いた(権記)。本尊千手観音は行円が夢託によって京都賀茂社の槻木を得て刻んだと伝え、その余材は西山善峰よしみね(現京都市西京区)本尊となったという(元亨釈書)。行円は鎮西の出身(同書)というが、「小右記」長保元年(九九九)一一月七日条に「横川皮仙」とあり、近江比叡山横川よかわに本拠を置いた聖であったらしい。皮仙かわひじり・皮聖・皮聖人などとよばれたのは、「件聖人不寒熱鹿皮、号之皮聖人(「日本紀略」寛弘二年五月三日条)とあるように、常に皮衣をまとっていたからであった。行円が願人となって建立した寺なので行願寺と名付けられたと思われるが、革聖人による一条辺りの堂ということから一条革堂と通称されるのであろう。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「行願寺」の意味・わかりやすい解説

行願寺
ぎょうがんじ

京都市中京区寺町通竹屋町(たけやまち)にある天台宗の寺。霊麀山(れいゆうさん)と号する。西国三十三所第19番札所。開基は行円。狩りを好んだ行円は、射止めた鹿(しか)の姿を見て発心(ほっしん)して仏門に入り、つねに鹿革を身につけて千手陀羅尼(せんじゅだらに)を読誦(どくじゅ)していたので革聖(かわひじり)といわれ、それにちなんで革堂(こうどう)(「かわどう」ともいう)と通称される。草創は1004年(寛弘1。一説翌年)12月とされ、行円が夢託により賀茂社の大槻樹で千手観音(かんのん)像を刻し、一条の北の油小路に一寺を建立して慶讃供養(きょうさんくよう)をしたのに始まると伝える。幾度かの火災により1708年(宝永5)に現在地に移った。

[中山清田]

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世界大百科事典(旧版)内の行願寺の言及

【革堂】より

…〈かわどう〉ともいう。正称は霊麀山(れいゆうざん)行願寺。当寺は平安中期の1004年(寛弘1),行円が創建した。…

※「行願寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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