駒ヶ根市(読み)コマガネシ

デジタル大辞泉 「駒ヶ根市」の意味・読み・例文・類語

こまがね‐し【駒ヶ根市】

駒ヶ根

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日本歴史地名大系 「駒ヶ根市」の解説

駒ヶ根市
こまがねし

面積:一六三・五三平方キロ

上伊那地方の南部、北から南に流れる天竜川を中央にして東西両側にまたがる。西側は木曾山脈を西の境とし、そこより発する大田切おおたぎり川と中田切なかたぎり川とをそれぞれ北と南の境とする一区域。この区域の中央を南北に旧伊那往還が走り、この街道を境に西が上穂うわぶ、東が赤須あかずとよばれる。東側は伊那山脈の西斜面で北は高烏谷たかずや山、東は戸倉とくら山、南は陣馬形じんばがた山等一連の山々に囲まれ、これらに源を発する大小河川の流域で、古来中沢なかざわ郷と称する一帯である。

駒ヶ根の名は木曾山脈の主峰の駒ヶ岳を常に仰ぎ親しんでいる地域であるので、昭和二九年(一九五四)新市発足にあたり、駒ヶ岳にちなんで名付けられた。

〔原始〕

天竜川西側の広い段丘は大小の河川によって浸食され、谷あり丘あり湧水も豊かで、古来人々の生活の舞台であった。一般に西部山麓寄りには縄文時代の遺跡が多く、中下流地域には縄文時代から弥生時代、土師器を伴う遺物遺跡が分布し、舟山ふなやま大城林おおしろばやし遺跡などがある。そして段丘の突端にあたる小鍛冶こかじには小円墳群がみられる。一方東側においては総称東伊那遺跡があり、山田やまだ遺跡は山麓の高地にあって縄文中後期に属し、これよりやや低地の丸山まるやま遺跡は縄文から弥生時代に属し、更に低地の狐久保きつねくぼ遺跡は弥生後期、最低地の殿村とのむら遺跡は土師器を出土する遺跡であるというように、時期的に生活の舞台が高地から低地に移行している跡を模式的にみることができる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「駒ヶ根市」の意味・わかりやすい解説

駒ヶ根〔市〕
こまがね

長野県南部,伊那盆地の天竜川右岸から木曾駒ヶ岳の東斜面を占める市。 1954年赤穂町,宮田町,中沢村,伊那村が合体して市制。 56年旧宮田町が分離して宮田村となる。中心集落の赤穂は河岸段丘上に位置し,三州街道宿場町として発達。第2次世界大戦前から伊那盆地の製糸業の一中心であったが,金属,機械,木材などの工業が進出。現在は電機・電子機器工業がおもに行われる。周辺の段丘面では米作やリンゴなどの果樹が栽培される。駒ヶ岳の観光拠点でもあり,67年に駒ヶ岳山頂近くの千畳敷カール (標高 2700m) までロープウェーが通じ,観光客がふえている。山麓の駒ヶ根高原には人造湖,キャンプ場などがある。光前寺庭園は名勝市域の一部は中央アルプス県立自然公園に属する。面積 165.86km2(境界未定)。人口 3万2202(2020)。

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