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長野県南部,赤石山脈の前山である伊那山地と木曾山脈にはさまれた地溝盆地。地元では古来伊那谷と呼ぶ。北端の辰野町から南端の飯田市の天竜峡まで南北60kmにおよぶが,東西の幅は4~15kmほどとせまく,標高は400~800mにわたっている。古代には東山道が通ったが,近世には中山道からはずれ中馬(ちゆうま)運送による商業が発展した。盆地の中央を天竜川が流れ,東西の山地から三峰(みぶ)川,小渋川,遠山川,松川など多くの支流が合流している。これらの川は利水にも役立っているが,一方,〈暴れ天竜〉の名が示すように水害が多いことでも知られている。天竜川の流れるはんらん原は狭いが,その両側には河岸段丘がよく発達し,中には4~5段にわたるところもある。伊那盆地北部の段丘面には諏訪湖の出口から引水した西天竜用水によって水田がよく開発されているが,いまだに平地林が広く残存している。また中部には梨,リンゴ,桃などの果樹園,南部には桑園が多く分布している。盆地内の谷の中央を天竜川に並行して飯田線が通じ,1975-76年には中央自動車道が開通して交通条件は大幅に改善されたが,盆地の地域経済を大きく変えるほどの影響をもたらしていない。主要な都市は,伊那,駒ヶ根,飯田の3市である。
執筆者:市川 健夫
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長野県南部、天竜川に沿う狭長な盆地。慣用的に伊那谷とよばれることも多い。西は木曽山脈(きそさんみゃく)で、東は伊那山地で限られ、この間の東西の幅は5キロメートル内外しかない。標高は北部で700メートル、南部で400メートル。盆地は北端の辰野(たつの)町から南は飯田(いいだ)市の天竜峡までで、この南方は南西方向へ向かう赤石山脈で限られるので、盆地の入口は地形的には北方だけしかない。南北の長さは60キロメートルほどある。平地は天竜川の形成した6~7段の河岸段丘と、西側はこの上に流出した天竜川の大小の支流の形成する扇状地からなる。昭和40年代初期までは工場の進出も少なく、二十世紀ナシとリンゴ、酪農、養蚕などの行われる農村であり、北端から入る袋小路的な性格をもっていた。昭和50年代からは、中央自動車道が南北に縦貫し、名古屋方面との連絡が密接になった結果、工場や大型商店、ホテルなども進出している。北半部の中心都市は伊那市で南半部は飯田市である。
[小林寛義]
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