日本大百科全書(ニッポニカ) 「アイグン条約」の意味・わかりやすい解説
アイグン条約
あいぐんじょうやく
1858年に清(しん)とロシアが中国黒竜江(こくりゅうこう/ヘイロンチヤン)省北部のアイグン(愛琿Айгун。現、愛輝(あいき/アイホイ))で結んだ条約。ロシアはクリミア戦争を機とし、清領の黒竜江(アムール川)を航行し、沿岸に植民していたが、アロー戦争が起こると、黒竜江を自領とするために、ネルチンスク条約の未決定境界の条項を利用し、清側に圧力を加え、現地交渉で3か条からなるこの条約を結んだ。代表は東シベリア総督ムラビヨフと、清の黒竜江将軍奕山(えきざん)。条約の要点は次のとおりである。
(1)黒竜江左岸はロシア領、黒竜江右岸は、烏蘇里江(ウスリー川)以西を清領、同江以東、海までの地を両国の共同管理とする。
(2)黒竜江左岸の満州人集落は清国が管轄する。
(3)黒竜、松花(スンガリ)、烏蘇里の三江を航行してよいのは両国の船に限る。
(4)この三江の沿岸住民はお互いに貿易をしてもよい。
清朝政府は、いったんは本条約を承認したが、のちにこれを否認した。しかし、1860年の北京(ペキン)条約で本条約の約定条項が確認され、共同管理地はロシア領となった。
[吉田金一]
『吉田金一著『近代露清関係史』(1974・近藤出版社)』