黒竜江(読み)コクリュウコウ

デジタル大辞泉 「黒竜江」の意味・読み・例文・類語

こくりゅう‐こう〔‐カウ〕【黒竜江】

アムール川
中国東北地区北端の省。省都ハルビン。農業が盛んで、他に木材・毛皮や地下資源を産出する。ヘイロンチアン

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒竜江」の意味・わかりやすい解説

黒竜江(省)
こくりゅうこう / ヘイロンチヤン

中国東北地区の北端の省。略称は黒。満州国時代の黒河(こくか)、浜江(ひんこう)、三江(さんこう)、牡丹江(ぼたんこう)の4省および竜江省の北半をあわせた大省である。北と東は黒竜江、ウスリー川を隔ててロシアに、西は嫩江(どんこう)上流部で内モンゴル自治区に、南は嫩江下流部、拉林(ろうりん)河および南東の山地で吉林(きつりん)省に接する。面積45万2538平方キロメートル、人口3833万(2014)。中国政府が認定する全56民族のうち、55民族が居住する多民族地域である。1地区(大興安嶺(だいこうあんれい)地区)、12地級市があり、それらの中に18県級市、44県、65市轄区、1自治県を含む(2016年時点)。省都はハルビン市。

[浅井辰郎 2016年10月19日]

自然

地形は、北東部と南東部に古生代、中生代の花崗(かこう)岩などの小興安嶺や張広才嶺(ちょうこうさいれい)ほかの山脈が連なり、南西部には中生代、新生代の盆地堆積(たいせき)物の上に、嫩江、松花江(しょうかこう)の広大な沖積平野が広がる。黒竜江省は北緯44度から53度にあるため、気候も南部と北部で相当異なり、1月の平均気温は南部で零下20℃、北部で零下30℃に達し、一部に永久凍土もある。川や湖は、南部で11月20日ごろ、北部で10月末日に結氷し、4月10~30日に解氷する。高緯度にあるため日照時間が長く、7月の気温は南部で23℃、北部で18℃に達する。年降水量は400~700ミリメートルで夏に集中する。

[浅井辰郎 2016年10月19日]

歴史・民族

秦(しん)代以前、現在の黒竜江省にあたる地域には、粛慎(しゅくしん)、濊貊(わいばく)、東胡(とうこ)とよばれる民族が居住していた。粛慎の後裔(こうえい)は漢(かん)代に挹婁(ゆうろう)、南北朝時代に勿吉(もっきつ)、隋唐(ずいとう)時代に靺鞨(まっかつ)とよばれ、12世紀に女真(じょしん)(女直(じょちょく))と称して金(きん)王朝を建国、会寧(かいねい)府(現、ハルビン市阿城(あじょう)区)を国都とした(後に燕京(えんけい)に遷都)。女真はその後、17世紀に清(しん)王朝を建国し、自らを満洲(まんしゅう)(族)と称するようになった。

 清代には吉林将軍、後に黒竜江将軍の管轄となり、1907年に黒竜江省将軍は廃止され、新たに黒竜江省が設置された。辛亥(しんがい)革命後の1919年には、奉天(ほうてん)派軍閥で「東北王」ともよばれた張作霖(ちょうさくりん)の実質統制下に置かれた。張作霖が日本軍に暗殺された後、息子の張学良(ちょうがくりょう)は1928年12月に蒋介石(しょうかいせき)率いる国民政府に降伏することを宣告。この「東北易幟(えきし)」によって、黒竜江省は国民政府の管轄となった。満州国成立(1932)後、黒竜江省は竜江省、浜江省、牡丹江省、東安(とうあん)省、三江省、北安(ほくあん)省、黒河省に分割された。

 日本の敗戦で満州国が解体されるとふたたび黒竜江省が設置され、中国共産党が勢力下に置いた最初の省となった。1946年からの人民解放戦争(国共内戦)では、同省から70万の人員と大量の物資が送り出された。

[于 海春 2016年10月19日]

漢族移民の増加と民族構成の変化

歴史的に少数民族の居住地であったが、清代以降は漢族人口が増加した。東北地区が清朝皇帝の故地であることから、一時は封禁の地として移民が禁止されたが、19世紀後半以降、ロシアの南進を警戒した清朝政府の移民報奨政策により、おもに華北地区からの漢族移民が増えた。同様の傾向は中華民国時代以降も続き、満州国時代の1937年には、満州国の総人口に占める漢族の割合は82%に達した。中華人民共和国となった1949年以降も、重工業基地として重視されたことや、大慶(たいけい)油田の開発が本格化したことに伴い、他地域から大量の労働者が流入。1953年に実施された第1次国勢調査によると、黒竜江省の人口1189万7309のうち漢族は92%を占め、1982年の国勢調査では、人口3266万5512のうち漢族の比率は95%まで高まった。

 2010年時点では漢族が省人口の96%を占めている。なお、居住人口1万人以上の民族は満洲族、朝鮮族、モンゴル族、回族、ダフール族である。錫伯(シベ)族、オロチョン族、赫哲(ホジェン)族(ナーナイ)なども多い。

[于 海春 2016年10月19日]

ロシア(ソ連)との国境紛争

ロシアとの国境は1689年のネルチンスク条約で確定したものの、1858年にアイグン条約、1860年に北京(ペキン)条約という不平等条約を締結した結果、黒竜江北岸とウスリー川以東(沿海地方)の領土をロシアに割譲することとなった。19世紀末には、ロシアが満州北部の鉄道敷設権を獲得し、シベリア鉄道の一部として東清鉄道を建設。ハルビンはその要衝として急発展を遂げた。

 第二次世界大戦直後は、満州を占領したソ連の後押しもあって、黒竜江省をはじめとする東北地区が中国共産党の勢力下に置かれた。中華人民共和国成立後も、ソ連が技術支援を行うなど親密な関係が続いたが、1950年代以降の中ソ対立に伴い国境付近での小競り合いが頻発。1969年3月には、ウスリー川中流にある珍宝島(ちんほうとう)(ロシア名、ダマンスキー島)の帰属をめぐって、両軍に多数の死者を出す衝突が起きている。この「珍宝島事件」が、一連の中ソ国境紛争における最初の大規模な武力衝突となった。

 その後も両国の対立は続いたが、ゴルバチョフがソ連書記長に就任して以降は関係改善が進み、1991年5月には中ソ国境協定が結ばれ、珍宝島の中国帰属(虎林(こりん)市に属する)などが決定した。さらに、2004年にロシアとの間で結ばれた国境協定により、黒竜江上流のタラバロフ島全域と大ウスリー島の半分が中国に帰属(チャムス市の管轄)することが確認され、中ロの国境紛争は解決した。

[于 海春 2016年10月19日]

経済・産業

2015年の域内総生産(GDP)は1兆5084億元(約29兆円)で、国内31の省・直轄市・自治区のなかでは21位である(1980年は221億元で国内8位)。経済成長率は5.7%で、全国平均(6.9%)を下回った。GDPの産業構成比は第一次産業が17.5%(成長率は5.2%)、第二次産業が31.8%(同1.4%)、第三次産業が50.7%(同10.4%)。1990年代以前は、重工業基地として中国国内でも上位の経済成長率を記録していたが、改革開放の深化に伴い、相対的に経済的地位が低下した。市場化の進展が他地域より遅れたこと、石油・石炭などエネルギー分野に過度に偏った産業構造、国有企業の非効率性などが原因としてあげられる。とくに2014年以降は、大慶油田の原油生産量の減少、過剰生産に伴う石炭・鉄鋼価格の下落などを背景に、黒竜江省の経済は大きく落ち込んでいる。

 2016年時点で省政府は、ロシアとの貿易拡大と産業構造の調整を柱とした発展政策を掲げている。

[于 海春 2016年10月19日]

農林畜産業

中国の重要な食糧生産拠点の一つであり、2015年の食糧生産量は6324万トンと、2011年以降、5年連続で国内1位を誇る。なかでも黒竜江、松花江、ウスリー川の合流点にあたる三江平原は、肥沃な黒土に恵まれた穀倉地帯として知られる。2015年時点の総耕地面積は北海道の約14倍にあたる1594万ヘクタールで、省全体の面積の3分の1を占める。農民1人当りの耕地面積も広大で、全国平均の約4.6倍に及ぶ41.6アールである。主要な農産物はトウモロコシ(2015年の生産量3544万1000トン)、米(同2199万7000トン)、大豆(同428万4000トン)、小麦(同21万8000トン)で、その他、ジャガイモ、ヒマワリ、アマ、テンサイなどの栽培も行われている。

 約207万ヘクタールにわたる広大な草原地帯を有し、ヒツジ、ウシ、ブタなどの牧畜も盛んである。2015年の牛肉と羊肉の生産量はそれぞれ41万6000トン、12万3000トンに及び、乳牛飼育頭数は全国の約13%を占める193万頭、生乳生産量は約15%を占める570万5000トンである。ただし、省の西部に広がる中国有数の草原地帯の松嫩(しょうどん)平原は、過放牧による草原の退化が深刻であるため、2006年1月1日以降、放牧が禁止された。

 森林面積は山地を中心に2098万ヘクタール(2010)に及び、チョウセンゴヨウ、カラマツ、イチイ、シラカバなどが多く繁る。森林蓄積量(森林を構成する樹木の体積)も19億2900万立方メートル(2014)と豊富なため、中国有数の木材供給地となっている。

 このほか主要な特産品には、カワウソの毛皮、サケ、ヤマブシタケ、マツの実、黒加侖(くろかりん)(ブドウの一種)、薬草等がある。

[于 海春 2016年10月19日]

資源

省内には国内1位の埋蔵量を誇る大慶油田がある。建国10周年を祝う国慶節直前の1959年9月に発見されたことから、「大慶」と名付けられた。同油田での原油生産が本格化したのは1963年からで、1980年代の安定生産期を経て、1990年代以降は減産傾向にある。これに加え、2014年後半以降の原油価格下落の影響を受けたことで、石油関連産業への依存度が高い大慶市の2015年のGDPは30年ぶりのマイナス成長となった。石炭生産も盛んで、鶏西(けいせい)、鶴崗(かくこう)、双鴨山(そうおうざん)、七台河(しちたいか)の4炭鉱は全国的に知られている。

 このほか、省内では135種類の資源が発見され、そのうち84種類の埋蔵量が確認されている。原油のほか、石墨、珪線石、玄武岩など計10種類の埋蔵量は国内1位を占め、レアメタルのレニウム、セレンの埋蔵量は国内2位、金の埋蔵量は国内3位である(2014年時点)。

[于 海春 2016年10月19日]

鉱工業

2014年の工業生産額は1兆3424億元(約23兆円)で、内訳は重工業64.4%、軽工業35.6%である。主要産業はエネルギー関連(シェア27.6%)、食品加工(同26.8%)、石油精製(同15.9%)、産業機械などの設備製造(同12.0%)の四つであり、これらの合計生産額は1兆1048億元に上る。なかでも、チチハル市フラルキの大型冶金(やきん)設備製造、ハルビンの工業用モーター製造や亜麻(あま)紡績、食品加工、大慶の石油精製、チチハルの鉄道車両製造、チャムスの製紙などは全国的に有名である。特筆すべきは食品加工業で、2010年以降、年約20%の成長を続けている。成長の牽引(けんいん)役となっているのは、米、大豆、トウモロコシなどの農産物、肉、卵製品の加工と、酒類の製造である。

[于 海春 2016年10月19日]

賃金水準

1人当りの年間可処分所得は、2005年の8273元から2010年には1万3857元となり、2014年には1万7404元(約29万9000円)と増加傾向にあるが、全国平均の2万0167元には及ばない。都市部の非私営企業従業員の平均年収は4万4036元(2014、約75万7000円)で、全国平均(5万6360元)の78.1%という低水準にある。2005年68.5%、2010年75.9%と縮小傾向にあるものの、依然として全国平均と20%以上の差がある。都市部と農村部の所得格差は、2005年2.57倍、2010年2.52倍、2014年2.16倍と、若干の格差解消がみられた。

[于 海春 2016年10月19日]

対内直接投資

海外(香港を含む)からの直接投資額は50億8791万ドル(2014)で、製造業(41.2%)と金融業(19.5%)に集中している。国・地域別でみると、1位が香港(76.2%)、2位がシンガポール(5.3%)で、日本は6252万ドル(1.2%)で8位であった。

[于 海春 2016年10月19日]

交通

黒竜江省を走る鉄道網の総延長は6019キロメートル(2014)で、内モンゴル自治区、河北(かほく)省に次いで、国内で3番目に長い。主要路線としては、京哈(けいは)線(北京(ペキン)―ハルビン)、哈大(はだい)旅客専用線(ハルビン―大連(だいれん))、哈滬(はこ)高速鉄道(ハルビン―上海(シャンハイ))等があげられる。ハルビンからは高速鉄道利用で、北京まで約8時間、上海まで約13時間である。開通している道路の総延長は16万2464キロメートルで、そのうち高速道路は4084キロメートルに及ぶ(2014)。

 水上交通では、黒竜江、松花江、ウスリー川を中核とした内航水運が発達している。省内には計15の港があり、そのうちチャムス港と同江(どうこう)港からは、松花江と黒竜江(アムール川)を経由して間宮(まみや)海峡に面したロシアのニコラエフスク・ナ・アムーレに通じる国際一貫輸送路が開通している。

 空路は、省内最大のハルビン太平国際空港を中心に、チチハル空港、牡丹江空港、チャムス空港など10の空港があり、2015年時点で、国内線、国際線あわせて合計219路線が就航している。

[于 海春 2016年10月19日]

日本との関係

外務省編『海外在留邦人数調査統計』によると、2014年(平成26)10月時点における在留邦人数は174人で、そのうち122人がハルビン市に在留している。一方、黒竜江省を本籍地とする日本在留者は2011年末時点で7万7753人で、国内では遼寧(りょうねい)省に次いで2番目に多い。

 黒竜江省商務庁の統計によると、2013年末時点での日系企業の数は812社で、全外資系企業(8905社)の約9.1%を占める。代表的な日系企業としては、三菱自動車や森永乳業、日立三菱水力などがあげられる。黒竜江省と友好提携をしている日本の地方自治体は、新潟県(1983締結)、北海道(1986)、山形県(1993)である。

 日本とは農業の技術協力を通じた交流が盛んであり、北海道や東北地方で確立された寒冷地に強い稲作技術協力は、黒竜江省の農業生産増大に大きく寄与した。とくに、岩手県出身の農業家・藤原長作(ちょうさく)(1912―1998)は、1954年からハルビン市方正(ほうせい)県で稲作技術の指導に従事。他の水田の2倍の収穫を実現するなど成果をあげ、1989年に中国政府から栄誉証書を贈られた。以後、方正県はおいしい米の生産地として全国的に知られている。

[于 海春 2016年10月19日]


黒竜江
こくりゅうこう

ロシア連邦と中国東北地区との国境を流れるアムール川の中国名。中国では「ヘイロンチヤン」と発音する。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「黒竜江」の意味・わかりやすい解説

黒竜江[省]【こくりゅうこう】

中国,東北地方北部の省。簡称は黒。北は黒竜江(アムール川),東はウスリー川を隔ててロシアに接する。省都はハルビン。北半の中央に小興安嶺があり,南半の西・南・東に松花江嫩江(のんこう)流域の平野が広がる。中国最寒区の一つ。満族,朝鮮族,回族,モンゴル族をはじめ,ダフール族シボ族ホジェン族,オロチョン族,エベンキなどの非漢民族も多い。木材・毛皮(ともに小興安嶺,南部山岳地帯)・薬材を産し,特に松嫩平原は小麦・ダイズ・コーリャン・水稲の大穀倉地帯をなす。鉱産は金(漢河,呼瑪,愛輝など),鉄(河城,集賢),石炭(鶴崗,鶏西,双鴨山など),石油(大慶)等。ハルビン,チチハル一帯を中心に,化学,食品,機械,電気器具,車両等の工業が盛ん。交通は浜洲(ハルビン〜内モンゴルのマンチュリー),浜綏(ハルビン〜綏芬河(すいふんが))の2国際鉄路をはじめ,浜北・斉北・平斉・綏佳等の諸鉄路があり,水運も発達,自動車道路も近年急速に発達した。45万3900km2。3811万人(2014)。
→関連項目拓跋氏東三省満州

黒竜江【こくりゅうこう】

アムール[川]

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旺文社世界史事典 三訂版 「黒竜江」の解説

黒竜江
こくりゅうこう

アムール川の中国名。外モンゴルに源を発し,中国とシベリアの境を流れ,日本海に注ぐ大河。松花 (スンガリ) 江・ウスリー江をはじめ,大支流をもつ
17世紀にシベリアを経由して東進したロシア人が黒竜江に達し,清との衝突をひき起こしたが,ネルチンスク条約によってロシア側は一時後退した。19世紀,ロシアはアロー戦争による清の弱体化に乗じて再び黒竜江に進出し,アイグン(愛琿)条約・北京条約を結んだ。この結果,黒竜江北岸と沿海州地方をロシア領とし,黒竜江・松花江の航行権を得た。

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改訂新版 世界大百科事典 「黒竜江」の意味・わかりやすい解説

黒竜江(河川名) (こくりゅうこう)
Hēi lóng jiāng

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「黒竜江」の解説

黒竜江(こくりゅうこう)

アムール川

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒竜江」の意味・わかりやすい解説

黒竜江
こくりゅうこう

「アムール川」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の黒竜江の言及

【アムール[川]】より

…ロシア連邦,シベリア南東部と中国東北部との国境およびその付近を流れる川。満州語でサハリン・ウラSahalien‐ula,蒙古語でハラムレン,中国語で黒竜江あるいは黒河。北東アジア第1の長流で,全長は4440km,本流のみで2824km。…

※「黒竜江」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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