日本大百科全書(ニッポニカ) 「アシャンティ」の意味・わかりやすい解説
アシャンティ(民族)
あしゃんてぃ
Ashanti
現在のガーナの中心的グループ。人口は約100万といわれる。より北方のセネガル川とニジェール川の間の地域に栄えたガーナ帝国(13世紀に崩壊した)を構成していたグループの後裔(こうえい)であるとする説もある(それが現在の国名の由来である)が、はっきりした証拠はない。いずれにせよアシャンティは、北方からギニア湾岸の森林地域に進出し定着した農耕(ヤムイモなど)を生業とするアカン語系の集団の一つである。17世紀末ごろ、それまでの小国分立の状態を脱して、18世紀初頭には、オサイ・ツツ王のもとでアカン語系の他の集団も服属させ、一種の連合王国をなし、王都クマシを中心に海岸部と内陸部との通商(金など)の要衝を押さえて力を増した。王権および王国の統一は、天から招来されたという「黄金の椅子(いす)」に象徴された。アメリカ大陸への奴隷貿易の衰退とともに勢力を伸ばしたイギリスは、やがて19世紀後半、海岸部のファンティ人への支配権をめぐってアシャンティ王国と数回の激しい衝突を繰り返し、1876年に首都クマシを占領した。こうして事実上独立国としてのアシャンティは終わったが、その後もイギリスによる支配への抵抗は続いた。
アシャンティの社会生活の中心は、アブスアとよばれる母系の親族集団であり、かつては国王や首長の選出も、アブスアの長老婦人の助言を中心に行われた。また最盛期のアシャンティ文化では、失蝋(しつろう)法でつくられた鋳造品、とりわけ金の重さを計るための純金製の分銅が有名である。
[渡辺公三]
アシャンティ(ガーナの地名)
あしゃんてぃ
Ashanti
西アフリカ、ガーナの南西部にある州。面積2万4390平方キロメートル、人口318万7601(2000)。18世紀から19世紀にかけて栄えたアシャンティ王国の中心領域である。住民はアカン語系のアシャンティ人。クワフ高原によって南北に二分されるが、南部の山地はプラ川が貫流する熱帯森林地帯で、ココア栽培の中心地であり、ガーナの全生産の3分の1以上を産出している。木材生産も多く、オブアイには金鉱、ニナヒンにはボーキサイト鉱床がある。クワフ高原の北は、サバナ地帯で降水量は少なく、ボルタ川が流れ、ヤム、キャッサバ、トウモロコシ、米などの食糧作物を産出する。州都クマシはかつてのアシャンティ王国の首都であり、運輸、商業、行政の中心地である。1980年アシャンティの伝統建築群が世界遺産の文化遺産に登録された。
[中村弘光]