アジャリア自治共和国(その他表記)Adzhariya

改訂新版 世界大百科事典 「アジャリア自治共和国」の意味・わかりやすい解説

アジャリア[自治共和国]
Adzhariya

ザカフカスグルジア共和国内の南西部を占める自治共和国。旧ソ連邦のもとではアジャリア自治ソビエト社会主義共和国であった。面積3000km2,人口37万6000(2002),首都はバトゥーミ。西部の黒海に臨む沿岸平野を除けば,大半がカフカス山系の山岳地帯,南部でトルコ国境を接する。アジャール人はグルジア人の一種族で,この地方のトルコ支配期(16~19世紀)に従来のキリスト教からイスラム化したもの。言語は基本的にグルジア語を保持する。自治共和国の民族構成(1989)は,アジャール人を含むグルジア人82.8%,ロシア人7.7%等。

この地方は古い歴史を持ち,前6~前4世紀コルキス王国,次いでイベリア王国という古代グルジア国家の一部をなした。諸国家の興亡,統一,分裂の中で,6世紀に西グルジアはローマとペルシア角逐の場となり,7世紀にアラブ,11~13世紀にはセルジューク・トルコ,モンゴル侵攻を受けた。16世紀中葉この地方の大半はトルコに占領され,1801年東グルジアがロシアに併合された後も,トルコの支配下にあり,露土戦争後,1878年のベルリン会議でバトゥーム(現,バトゥーミ),カルス,アルダガンはロシアに併合された(〈カフカス〉の項目参照)。19世紀末からバトゥームはザカフカスの重要な貿易通商港として発展,1897-1907年にバクー~バトゥーム間に送油管が敷設された。港湾,石油労働者を中心に労働運動が始まり,1902年のバトゥーム・ストライキは名高い。17年ロシアの十月革命にたいしてザカフカスの民族主義諸派はザカフカス委員部を形成。18年ブレスト・リトフスク講和条約後ザカフカスに侵攻したトルコ軍は4月バトゥームを占領。5月に独立宣言したメンシェビキ支配下のグルジア共和国は6月,トルコとの条約でバトゥーム等多くの地域を失った。18年12月~20年7月の間イギリス軍が占領した。21年2月ティフリス(現,トビリシ)でのソビエト権力樹立後,バトゥームに逃れたメンシェビキ政権は3月国外に亡命した。ソビエト権力は,進駐したトルコ軍を駆逐し,3月18日バトゥームにソビエト権力の樹立を宣言し,7月16日グルジア共和国内の自治共和国となった。

 ペレストロイカ以降,イスラム系民族組織の動きも伝えられるが,同じくグルジア共和国内の行政単位で,激しい武装対立に至ったアブハジア南オセティア(〈北オセティア〉の項目参照)と比べれば情勢ははるかに落ち着いている。

工業は,石油精製,機械,食品が主力で,黒海沿岸部に集中している。沿岸部ではさらに,その亜熱帯性気候を利用して茶(旧ソ連邦有数の産地),ミカン・レモン等のかんきつ類,果物の栽培が盛んであり,山岳地帯では羊,ヤギ放牧と,タバコ栽培が行われている。主都バトゥーミは共和国の工業,経済の圧倒的中心であり,天然の良港としてザカフカス全体でも重要な位置を占めている。またバトゥーミ,コブレチ,ツィヒスジリ,ゼリョーヌイ・ムイス,マヒンジャウリ等の黒海沿岸の諸都市は旧ソ連邦屈指の保養地として知られる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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