アスンシオン(読み)あすんしおん(英語表記)Asunción

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アスンシオン」の意味・わかりやすい解説

アスンシオン
Asunción

パラグアイの首都。ラプラタ川水系パラグアイ川の下流部東岸に位置する河港都市で,ピルコマヨ川の流入点に近い。ブラジル高原の西縁にあたる低い丘を占め,標高 53m。気候亜熱帯性で,夏は雨が多く気温が 40℃をこえることもあるが,冬は涼しく雨も比較的少なく,しのぎやすい。 1537年スペイン人によって建設され,植民地時代初期には南アメリカ東部におけるスペインの植民活動の中心地として発展。市を基地として現在のアルゼンチンブエノスアイレスサンタフェなどが建設された。 1588年以降はグアラニ族を中心とする先住民のインディオに対するイエズス会の布教中心地ともなったが,1617年ブエノスアイレス地方から分離され,大西洋への出口を失ってからしだいに衰退。 19世紀初めスペインからの独立を目指したブエノスアイレスがパラグアイ地方も支配下に置こうとしたが,パラグアイはこれを退け,1811年スペイン,ブエノスアイレスの両者からの独立を宣言,市がその首都となった。河港としてアルゼンチン,ブラジル,ウルグアイを結ぶ戦略的な要地を占めていたため,パラグアイ戦争 (1864~70) 中,1868年にブラジルに占領され,1876年までその支配下に置かれた。パラグアイの政治,経済,文化の中心地でもあり,周辺の肥沃な農牧地帯に産する綿花サトウキビトウモロコシ,タバコ,果実,ウシなどを集散し,繊維,植物油,靴,粉,飲料,小型船舶,たばこなどを製造する。市内には国立アスンシオン大学 (1890) ,ヌエストラ・セニョーラ (聖母マリア) 大学 (1960) の2大学を中心とする教育機関,博物館などがある。大きな公園や樹木,花などが多い美しい町で,中心部には近代的な市街が広がるが,川沿いには中庭がある1階建ての植民地様式の建物が多い。交通の中心地でもあり,ドックや倉庫が立ち並ぶ河港が同国の主要貿易港としてにぎわうほか,アルゼンチンの鉄道網と連絡する幹線鉄道の起点でもあり,ブエノスアイレスとは道路でも結ばれる。北東郊には国際空港がある。行政的には県に属さない特別行政区。人口 51万8792(2008)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アスンシオン」の意味・わかりやすい解説

アスンシオン
あすんしおん
Asunción

南アメリカ中部、パラグアイの首都。人口51万3399(2002)。パラグアイ川がピルコマヨ川と合流する東岸に位置し、海をもたないパラグアイとしては、もっとも重要な貿易港となっている。旧市街地は河岸の低地に、19世紀以降の新市街地は高い台地上に発達し、鉄道、道路の起点となっており、パラグアイの政治、産業、文化の中心である。気候は亜熱帯で、とくに2月は真夏でもっとも気温が高く、しばしば40℃になることがある。夏季には雨が多く、年降水量は約1250ミリメートルである。市の北部と東部には肥沃(ひよく)な農業地帯が展開し、サトウキビ、ワタ、林産物、畜産物を原料とした、製糖、綿業、製材、羊毛加工業が発達しているが、全体的にみて規模が小さく、自給の域を越えない。皮革、硬材、オレンジ、マテチャなどは、川船や鉄道を利用して積み出すほか、道路を利用してアルゼンチンのブエノス・アイレスに輸送している。1537年にスペイン人マルティネス・デ・イララによって建設され、南アメリカ南東部のスペイン植民地の拠点となり、17世紀にブエノス・アイレスが栄えるまでは、ラ・プラタ水系最大の港市であった。1811年、ブラジルによって一時占領されたが、その年にこの地においてパラグアイはスペインからの独立を宣言した。

[市川正巳]

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