サンタフェ(英語表記)Santa Fé

デジタル大辞泉 「サンタフェ」の意味・読み・例文・類語

サンタ‐フェ

Santa Fe》米国ニューメキシコ州の州都。17世紀初めにスペイン人が建設。アメリカ先住民との交易の中心地となったシカゴから伸びるサンタフェ鉄道は西部の通商路。
Santa Féアルゼンチン中北部、サンタフェ州の都市。同州の州都。パラナ川サラド川の合流点近くに位置し、河港をもつ。豊かな農業地帯の中心地であり、穀物の集散地となっている。同国憲法の制定地。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「サンタフェ」の意味・わかりやすい解説

サンタ・フェ
Santa Fé

アルゼンチン中部,同名州の州都。人口36万8668(2001)。パラナ川に面し,パンパ農産物の集散地,積出港。対岸のパラナ市とはトンネルで結ばれている。食品加工に加え繊維・自動車製造業などがある。パラグアイアスンシオンから来たフアン・デ・ガライにより1573年に創設されたが,原住民襲撃を避けるため,1650年現地点に移った。62年スペイン植民地下の公認港となり,パラナ川の主要港としてマテチャ貿易でにぎわった。60年代からイエズス会布教活動の一中心地となったが,原住民との抗争は続いた。独立・建国期には連邦主義派の一拠点となり,1853年同市のリオ・デ・ラ・プラタ諸州連合議会でアルゼンチン共和国憲法が採択された。州政府は19世紀半ば以降農業入植地の建設を奨励,同州ではエスペランサ入植村を皮切りに農業開発が進展,現在では穀作に加えて牧畜業も盛んである。
執筆者:


サンタ・フェ
Santa Fe

アメリカ合衆国ニューメキシコ州北部の州都。人口6万2203(2000)。北緯36°に位置するが,標高2100m(合衆国の州都中もっとも高い)の高原にあり,乾燥しているため夏は快適である。1610年,スペイン人がニューメキシコ植民地の拠点として建設,伝道,交易の中心地となった。地名はスペイン語で〈神聖なる信仰〉を意味する。1821年以降サンタ・フェ街道を利用してのアメリカ商人との交易が栄え,48年には米墨戦争の結果アメリカ領となり,80年にはサンタ・フェ鉄道がここまで延長された。スペイン系住民が多く,サン・ミゲル教会などスペイン領時代の史跡に富む。またプエブロインディアンも周辺に少なくなく,彼らの文化の影響をうけた日乾煉瓦の建物,民芸品は観光客をひきつける。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンタフェ」の意味・わかりやすい解説

サンタフェ
Santa Fé

アルゼンチン中北部,サンタフェ州の州都。首都ブエノスアイレスの北北西約 380km,パラナ川西岸の河港都市で,サラド川の合流点に位置する。パラナ川の対岸にはパラナがあり,橋とトンネルで結ばれる。 1573年アスンシオン (現パラグアイの首都) からやってきたスペイン人によって建設され,当時スペインの重要な植民地であったアスンシオンへの補給基地として発展,物資はパラナ川からパラグアイ川をさかのぼって運ばれた。またイエズス会の伝道中心地ともなり,学校や聖堂が建設された。現在は背後にパンパス東部の肥沃な農業地帯を控え,商工業中心地として繁栄し,食品,繊維,自動車などの工業が立地する。港湾施設は近代化され,ラプラタ川から約 400kmさかのぼってくる外洋船が接岸でき,アルゼンチンのほか,内陸国であるボリビアとパラグアイにとっても重要な貿易港となっている。文化中心地でもあり,市内には国立リトラル大学 (1919) をはじめとする高等教育機関,博物館,劇場などがある。植民地時代の古い建築物も保存されており,17世紀末に建てられた聖フランシスコなど3つの聖堂は国の歴史記念物に指定されている。水運のほか,陸上交通の要地でもあり,市から放射状に鉄道,道路が延びる。人口 44万 2214 (1991推計) 。

サンタフェ
Santa Fe

アメリカ合衆国,ニューメキシコ州の州都。ロッキー山系の一支脈サングレデクリスト山脈の南端で,標高 2132mの高地にある。 1610年スペイン人が入植,中央広場を囲み,用水路に沿ってつくられた。 1821年以来メキシコ領であったが,アメリカ=メキシコ戦争 (1846~48) 以後アメリカ領になる。メキシコ領時代に西部開拓の重要なルートのサンタフェ道が造られ,北部の中心地として発展した。 51年准州の首都となり,80年にサンタフェ道とほぼ平行にサンタフェ鉄道が敷設された。 1912年州都。スペイン語を話す住民が多い。肉牛,野菜,果実,コムギなどの集散地で,鉛,亜鉛,石灰を産出。スペイン風の建築物が多く,サンタフェ・カレッジ (1859創立) ,州議会議事堂,人類学研究所などがある。夏には避暑客,冬にはスキーヤーが多く訪れる。人口5万 5839 (1990) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンタフェ」の意味・わかりやすい解説

サンタ・フェ(アメリカ合衆国)
さんたふぇ
Santa Fe

アメリカ合衆国、ニュー・メキシコ州北部にある同州の州都。人口6万2203(2000)。サングレ・デ・クリスト山脈の麓(ふもと)に位置し、行政の中心であるとともに、観光・保養地でもある。産物としては、先住民(アメリカ・インディアン)の工芸品がよく知られている。1609年スペイン人によって町が建設され、スペイン人と先住民との交易の中心地となった。1680年から92年まではプエブロ・インディアンに占拠された。1821年にメキシコがスペインから独立し、サンタ・フェ・トレイルにより合衆国との交易が発展した。1846年に合衆国領となり、1880年にはサンタ・フェ鉄道がサンタ・フェまで通じた。市内にはサン・ミゲル教会(1636建設)、セント・フランシス聖堂(1869建設)、クリストレイ教会などのほかに、旧スペイン総督邸(1610建設)、人類学研究所、国際民俗芸術博物館、ナバホ・インディアン儀礼芸術博物館がある。町は先住民とメキシコ人、ヨーロッパ人の文化が混合した独特な景観をつくっている。地名はスペイン語で「神聖なる信仰」を意味する。

[菅野峰明]


サンタ・フェ(アルゼンチン)
さんたふぇ
Santa Fé

アルゼンチン中央部、サンタ・フェ州の州都。都市圏人口48万4469(2001)。パラナ川に面し、首都ブエノス・アイレスの北西483キロメートルに位置する。鉄道および道路網の要地で、対岸のパラナとは河底トンネルで結ばれる。後背地では穀作が盛んで、小麦、トウモロコシ、亜麻(あま)、米などの集散地である。サンタ・フェ州政府は19世紀なかば以降、農業入植地の建設を奨励し、サンタ・フェを中心にヨーロッパ農業移民の入植が相次いだ。穀作に加え肉牛、乳牛、ブタなどの牧畜業も盛んである。市およびその近郊には製粉、精糖、缶詰、ビール醸造、乳製品製造など食品加工工場に加え繊維、製紙、木材加工、皮革、陶器、トラクター製造などの工場がある。1573年フアン・デ・ガライにより建設され、1650年に現在の地に移転、パラナ川航行の主要港となった。また独立戦争、建国期には連邦主義派の政治運動の拠点となった。

[今井圭子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「サンタフェ」の意味・わかりやすい解説

サンタ・フェ(アルゼンチン)【サンタフェ】

アルゼンチン中部,パラナ川支流のサラド川に臨む河港都市。外洋航行船も入港可能。パンパの農産物の集散地。食品工業のほか,繊維,自動車産業などが行われる。1573年創設。アルゼンチン最古の都市の一つで,マテ茶貿易でにぎわった。イエズス会伝道の中心として発展。1853年制憲議会開催の地。39万1000人(2010)。
→関連項目ロサリオ

サンタ・フェ(アメリカ)【サンタフェ】

米国,ニューメキシコ州の州都。ロッキー山脈中,標高約2100mの高原にある。農牧産品,鉱産物の集散地。乾燥した温暖な気候で,保養観光地として知られる。プエブロ・インディアンの居住地で,1610年スペイン人が植民地を建設。1848年アメリカ領となる。スペイン領時代の建物が多く残っている。1821年から1880年にサンタ・フェ鉄道が開通するまで,ミズーリ州インディペンデンスとの間を結ぶサンタ・フェ街道は重要な交易路,西漸路であった。6万7947人(2010)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル大辞泉プラス 「サンタフェ」の解説

サンタフェ

韓国の現代自動車が2000年から製造、販売している乗用車。5ドアのSUV。2001年から2004年まで日本で輸入販売された。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のサンタフェの言及

【キロガ】より

…おそらくサラマンカ大学で教会法を修め,1525年ころから宮廷に入り,やがてその清廉潔白な人柄を買ったカルロス1世から,当時暴政のために混乱の最中にあったヌエバ・エスパニャ(メキシコ)の事態収拾の任の一端を託された。31年初頭着任したキロガは原住民の窮状に強く心を打たれ,翌年メキシコ市郊外にサンタ・フェという救済村を私財で建設,次いでこれを巡察先のメキシコ西部のミチョアカン地方にも広げ,37年ミチョアカン司教に任ぜられた。トマス・モアの《ユートピア》の内容から採った生活規範を定め,これによって原住民の教化と規律ある社会生活への適応を図った。…

【アメリカ】より


[イギリス人の北アメリカ進出]
 スペインの北アメリカにおける勢力は,メキシコ中央部以南に限られ,H.deソト(1498?‐1542)のミシシッピ地方探検,カベサ・デ・バカ(1490?‐1557)のフロリダからメキシコまでの陸路横断,F.V.deコロナドの南西部探検等のあとには継続的な移民が行われず,現アメリカ合衆国の大部分は名目的な領土にすぎなかった。ニューメキシコのサンタ・フェは1610年に建設されたが,70年後プエブロ族の蜂起のためスペイン人はエル・パソに退き,サンタ・フェが回復されたのは90年代である。カリフォルニアも,コルテスのメキシコ征服後ただちにスペイン人の探検するところとなったが,軍隊と修道会の力によって組織的な植民が始まったのは18世紀の後半だった。…

※「サンタフェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android