アルゼンチン中部,同名州の州都。人口36万8668(2001)。パラナ川に面し,パンパの農産物の集散地,積出港。対岸のパラナ市とはトンネルで結ばれている。食品加工に加え繊維・自動車製造業などがある。パラグアイのアスンシオンから来たフアン・デ・ガライにより1573年に創設されたが,原住民の襲撃を避けるため,1650年現地点に移った。62年スペイン植民地下の公認港となり,パラナ川の主要港としてマテチャ貿易でにぎわった。60年代からイエズス会布教活動の一中心地となったが,原住民との抗争は続いた。独立・建国期には連邦主義派の一拠点となり,1853年同市のリオ・デ・ラ・プラタ諸州連合議会でアルゼンチン共和国憲法が採択された。州政府は19世紀半ば以降農業入植地の建設を奨励,同州ではエスペランサ入植村を皮切りに農業開発が進展,現在では穀作に加えて牧畜業も盛んである。
執筆者:今井 圭子
アメリカ合衆国ニューメキシコ州北部の州都。人口6万2203(2000)。北緯36°に位置するが,標高2100m(合衆国の州都中もっとも高い)の高原にあり,乾燥しているため夏は快適である。1610年,スペイン人がニューメキシコ植民地の拠点として建設,伝道,交易の中心地となった。地名はスペイン語で〈神聖なる信仰〉を意味する。1821年以降サンタ・フェ街道を利用してのアメリカ商人との交易が栄え,48年には米墨戦争の結果アメリカ領となり,80年にはサンタ・フェ鉄道がここまで延長された。スペイン系住民が多く,サン・ミゲル教会などスペイン領時代の史跡に富む。またプエブロ・インディアンも周辺に少なくなく,彼らの文化の影響をうけた日乾煉瓦の建物,民芸品は観光客をひきつける。
執筆者:正井 泰夫
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アメリカ合衆国、ニュー・メキシコ州北部にある同州の州都。人口6万2203(2000)。サングレ・デ・クリスト山脈の麓(ふもと)に位置し、行政の中心であるとともに、観光・保養地でもある。産物としては、先住民(アメリカ・インディアン)の工芸品がよく知られている。1609年スペイン人によって町が建設され、スペイン人と先住民との交易の中心地となった。1680年から92年まではプエブロ・インディアンに占拠された。1821年にメキシコがスペインから独立し、サンタ・フェ・トレイルにより合衆国との交易が発展した。1846年に合衆国領となり、1880年にはサンタ・フェ鉄道がサンタ・フェまで通じた。市内にはサン・ミゲル教会(1636建設)、セント・フランシス聖堂(1869建設)、クリストレイ教会などのほかに、旧スペイン総督邸(1610建設)、人類学研究所、国際民俗芸術博物館、ナバホ・インディアン儀礼芸術博物館がある。町は先住民とメキシコ人、ヨーロッパ人の文化が混合した独特な景観をつくっている。地名はスペイン語で「神聖なる信仰」を意味する。
[菅野峰明]
アルゼンチン中央部、サンタ・フェ州の州都。都市圏人口48万4469(2001)。パラナ川に面し、首都ブエノス・アイレスの北西483キロメートルに位置する。鉄道および道路網の要地で、対岸のパラナとは河底トンネルで結ばれる。後背地では穀作が盛んで、小麦、トウモロコシ、亜麻(あま)、米などの集散地である。サンタ・フェ州政府は19世紀なかば以降、農業入植地の建設を奨励し、サンタ・フェを中心にヨーロッパ農業移民の入植が相次いだ。穀作に加え肉牛、乳牛、ブタなどの牧畜業も盛んである。市およびその近郊には製粉、精糖、缶詰、ビール醸造、乳製品製造など食品加工工場に加え繊維、製紙、木材加工、皮革、陶器、トラクター製造などの工場がある。1573年フアン・デ・ガライにより建設され、1650年に現在の地に移転、パラナ川航行の主要港となった。また独立戦争、建国期には連邦主義派の政治運動の拠点となった。
[今井圭子]
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…おそらくサラマンカ大学で教会法を修め,1525年ころから宮廷に入り,やがてその清廉潔白な人柄を買ったカルロス1世から,当時暴政のために混乱の最中にあったヌエバ・エスパニャ(メキシコ)の事態収拾の任の一端を託された。31年初頭着任したキロガは原住民の窮状に強く心を打たれ,翌年メキシコ市郊外にサンタ・フェという救済村を私財で建設,次いでこれを巡察先のメキシコ西部のミチョアカン地方にも広げ,37年ミチョアカン司教に任ぜられた。トマス・モアの《ユートピア》の内容から採った生活規範を定め,これによって原住民の教化と規律ある社会生活への適応を図った。…
…
[イギリス人の北アメリカ進出]
スペインの北アメリカにおける勢力は,メキシコ中央部以南に限られ,H.deソト(1498?‐1542)のミシシッピ地方探検,カベサ・デ・バカ(1490?‐1557)のフロリダからメキシコまでの陸路横断,F.V.deコロナドの南西部探検等のあとには継続的な移民が行われず,現アメリカ合衆国の大部分は名目的な領土にすぎなかった。ニューメキシコのサンタ・フェは1610年に建設されたが,70年後プエブロ族の蜂起のためスペイン人はエル・パソに退き,サンタ・フェが回復されたのは90年代である。カリフォルニアも,コルテスのメキシコ征服後ただちにスペイン人の探検するところとなったが,軍隊と修道会の力によって組織的な植民が始まったのは18世紀の後半だった。…
※「サンタフェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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