改訂新版 世界大百科事典 「アンデス地方」の意味・わかりやすい解説
アンデス地方 (アンデスちほう)
コロンビアからチリ北部にかけてアンデス山脈が縦走する地域をいう。赤道を横切って南北に長く走るアンデス山脈は,地形と気候条件が複雑で,古くからそれに対応する人間生活の多様性を生んできた。アンデス山脈の自然とそこにおける人間の問題を考えるにあたり,アンデス地方を北アンデスと中央アンデスに二分しておくのが便利であろう。
北アンデスは,コロンビアとエクアドルの地域で,アンデス山脈は高度が低くなり,かつ雨量が多い。太平洋沿岸の海岸低地は高温多湿で,コロンビアでは熱帯雨林を形成する。原初的農耕や土器の使用は,前3000年ころにエクアドル海岸地方や,コロンビア北部のカリブ海側低地にみられた。その後,トウモロコシを得るや,農耕に経済的基盤をもつ文化がアンデス山地へひろがり,一方,低地では,トウモロコシやマニオクの農耕が行われる。コロンビアの海岸低地は,アマゾン川流域の焼畑農耕民とよく似た生活様式がみられるが,エクアドルでは,高地との交流を保ちつつ,やや複雑な社会を組織し,土器や金属細工などの工芸を進歩させて,3世紀ころトリタ,ハマ・コアケ,グアンガラ,バイーアの諸文化,10世紀ころにはミラグロやマンテーニョの文化が栄え,高地のセロ・ナリーオ,トゥンカワン,プルアー,コロンビアのカリマ,キンバヤ,サン・アグスティン,そしてのちのチブチャなどの文化と肩を並べていた。しかしながらこれらの諸文化は,強力な国家組織をもたず,地方首長間の連合体を作る程度であった。このため,スペイン人に対しては個別的な抵抗しかできず,また植民地統治下にあっては支配・被支配の体制に順応しきれなかった。今日,北アンデスは,農業や牧畜業の卓越するところとなり,完全に市場経済の中に組み込まれ,インディオは低地ではほとんど伝統をとどめず,高地ではエクアドルにやや多いという状況である。植民地時代の歴史の上に立って,コロンビアもエクアドルも,高地は政治と農業に,低地は商工業やプランテーションなど産業経済に重点が置かれ,低地と高地の住民の性格や価値観のちがいを生んでいる。
→アメリカ・インディアン
中央アンデスおよびチリ北部は,北アンデスよりはるかに山が高く,海岸は砂漠となっている。高地では雨季と乾季の区別が明瞭であるが,降雨量は平均して1000mm程度で,一般に乾燥が強い。高地の雨はアンデス山脈の東西に深い谷をきざんで流れ,太平洋側では,細い谷が砂漠を横断する。海岸低地では,砂漠を横切るこれらの谷がオアシスとなって,人びとの生活の場所となる。海岸の河谷や高地の広大な斜面は,灌漑など組織的な開発をすることにより高い生産性を発揮する。このことが,アンデス文明の形成,インカ帝国の出現を可能にしたといえる。また人びとは,大きな高度差に応じて異なる自然条件を巧みに利用して,多様な資源の開発方法を考えた。標高4000m以上の寒冷な草原は,リャマ(ラマ)とアルパカの飼育,3500m以上の斜面はジャガイモ,オカ,オユコなどのイモ類,2500m以上はトウモロコシ,それ以下ではトウモロコシのほかに,マメ類,トウガラシ,カボチャ,綿花,コカ,果実などの栽培にあて,必要な食料や原料の自給度を高めた。南部ではさらに海岸地方にまで人を送り,海産物を直接入手した。このような,高度によって異なる資源を入手して自給自足の生活を成立させる方式は,垂直統御とよばれ,アンデス高地民の特徴とされたが,近年くわしい研究が進められて,地域的にも時代的にも,いろいろな形があることがわかってきた。たとえば,海産物についていえば,海岸に強力な社会が形成されていた場合は,交換による入手が行われ,また高地では牧畜に専念する集団と盆地の農耕民とのあいだの相互依存という形もあった。植民地時代から今日にかけて,インディオはへんぴな土地に追いやられたが,上下の資源を直接的な開発もしくは交換によって入手し,自給自足を図る傾向は依然として強く残っている。
ペルーでは,コスタcosta(海岸),シエラsierra(高地),モンターニャmontaña(アンデス山脈東斜面下部の熱帯雨林)が国土を形づくるといわれる。先史時代からこの3者の区分はあって,それぞれに特有の文化と社会があり,垂直統御の活動が3者間を結びつけていた。16世紀以後は,海岸低地が大農園や商工業を基礎に政治と経済の近代化を進めたのに対し,高地はインディオ共同体の自足的社会と,インディオの労働力を利用した旧式の農場経営が続き,海岸と高地の格差が大きく開いた。スペイン人による征服後のインディオ人口の減少は海岸部ではなはだしく,海岸の人びとはほとんどメスティソであり,これがペルー国民文化の中心となっている。モンターニャとさらにその下方にひろがるセルバ(平たんな熱帯雨林)は,アンデス文明の外縁に位置し,まったく異なる文化伝統に属していたが,最近はメスティソや高地インディオが,国家の開発政策にのって多数入りこんで,小規模農業から大規模なプランテーション,牧畜,木材業などの経済的開発に参加している。原住民の数は少ないが,そのような進出により原住民とのあつれきも生じている。ボリビアでも熱帯低地の開発はさかんであるが,ブラジルも含めて,熱帯雨林の開発は,生態学的条件の考慮に問題があるという指摘があり,今後のなりゆきが注目される。また,高地でも低地でも,インディオ社会と国家あるいは国民統合の関係がむずかしい問題として残されている。
→インディヘニスモ
執筆者:大貫 良夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報