アラビア半島南部を占めるイエメン共和国の首都。アラビア半島南西部、同国中央部の標高2350メートルの高原に位置する。人口92万6595(1993)、165万3300(2002推計)。夏は温和で冬は涼しく、年降水量も500ミリメートル程度あり、アラビア半島でもっとも気候に恵まれた地である。紅海沿岸のホデイダ、南方の交易都市タイズおよび北方のサウジアラビア国境地帯とを結ぶ、旧北イエメンの三大幹線道路の交点にあたる。大洪水のあとノアが建設したという伝説がある古い町で、7世紀に始まるイスラム時代にはラシード王朝の首府として栄えた。旧市街は八つの城門のある城壁に囲まれた城郭都市だが、近年の都市改造によって多くの城壁が崩され、一部が残るだけとなっている。壁に彩色や彫刻を施した伝統的な家並みがあり、かつての支配者トルコ人の住宅区や、1949年イスラエルに大挙移住したユダヤ人街跡も残っている。この古い町並みは1986年に「サヌア旧市街」として世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録されたが、隣国サウジアラビアの空爆により深刻な損傷を受けたとして、2015年には危機遺産リスト入りしている。活気あふれる市場には、宝石、銀細工、織物などイエメンの特産品が集められている。新市街は国の中枢機能をもつ諸官庁、ビジネス街、大学などがある。
[原 隆一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イエメン共和国の首都。アラビア半島南西部の高原都市で標高2300m。人口175万(2004)。シーア派の分派ザイド派を奉じる住民が多い。紅海に面する貿易港ホデイダとは高速自動車道で結ばれる。ヤークートの地理書によればサヌアには1世紀ころヒムヤル王国Ḥimyarの巨大なグムダーン城が建てられていたと記される。525年アビシニア(エチオピア)軍総督アブラハがヒムヤル王国を滅ぼし,この地を首都とし壮大な教会を建てた。イスラム時代に入るとその活動の中心からやや離れ,1546年以降はトルコの主権下におかれたが,高原地帯に勢力をもっていたザイド派イマームの王国が1905年トルコを追い払い,現在のイエメンの基盤を築いた。年間の気温22~25℃,降雨量500mm,温和な気候で古来健康によい土地とされる。市街は王宮を中心に東西に分かれ,東の旧市街には伝統あるモスクが多い。独特の様式の高層住宅や中世の風俗がそのまま残っており,郊外には美しい緑の渓谷がある。学生数3000人のサヌア大学もある。
執筆者:塩尻 和子
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