日本大百科全書(ニッポニカ) 「アフリカ神話」の意味・わかりやすい解説
アフリカ神話
あふりかしんわ
今日アフリカの神話というとき、二つの神話が考えられる。一つはアフリカに伝えられる神話であり、もう一つは神話としてのアフリカである。後者は神話とは何かを考える際に欠くことのできない素材である。17世紀あたりから植民地時代に至るまで、アフリカ=暗黒大陸という考え方が西欧社会に広まった。これは、一つには大航海時代に始まった具体的な接触が絶えた結果、西欧が奴隷交易のための奴隷供給源としてしかアフリカを考えなくなったことに由来する。アフリカは西欧の無意識の投影のための対象となり、無知、蒙昧(もうまい)、野蛮といった神話的幻想が一般化していった。いわゆる西欧文明と対極のイメージを構成するための、西欧文明の「ネガ」として「アフリカ」が使われる時期が続いた。これに対し、アフリカに伝えられるいわゆる「アフリカ神話」は、アフリカ人が周りの世界をとらえ、これを仮構でありながらももっと深く現実を照射する物語の方法として開発していたことを示してあまりある。
[山口昌男]
神話採集の沿革
アフリカ神話の採集が始まったのは、19世紀の末から20世紀の1920年代までの緩やかな期間である。アフリカ各地の宣教師または行政官が書いた民族誌の一章として神話、昔話が書き記された。20世紀初頭におけるアフリカ神話のもっとも優れた採集は、ドイツの民族学者L・フロベニウスによって試みられた。彼は『黒いデカメロン』(1910)などの神話のアンソロジーも編んでいるが、彼自身1910~1911年にナイジェリアのヨルバ人を中心とした地域の調査を行って、ヨルバ人の神話の用意周到な採集を試みた。『そしてアフリカは語る』2巻(1912~1913)はその記録である。この旅行記は、ヨルバ人の歴史、宗教、さまざまな祭祀(さいし)形態、王権を中心とした政治組織についての信憑(しんぴょう)性の高い報告であると同時に、ヨルバ人の神話のまとまった記述となっている。ヨルバ人の至高神の子孫がいかにしてこの地上に降臨したかに始まり、この地上の最初の王国である聖都イフェにおける内訌(ないこう)の歴史が語られる。歴代の王が王殺しの運命を甘受しなければならなかったなかでも、とくに後世に深い影響を与えた暴君シャンゴ王の神話は印象的である。日本神話でいえば武烈(ぶれつ)天皇とでも比較されるこの暴君は、臣下のために自殺を強いられて憤死し、その魂は天に昇って雷神になったと伝えられる。菅原道真(すがわらのみちざね)と御霊(ごりょう)信仰の関係を思わせるような神話である。
[山口昌男]
アフリカ神話の特徴
アフリカの文化は確かに、他の大陸の文化といろいろな点で異なっており、またそれぞれの言語集団は固有の文化を発達させているため、神話にもそうした文化との関連でローカル色の強い要素もみられる。しかし同時に、人間性の普遍性を思わせる世界各地の神話との共通のモチーフも観察される。したがって日本とアフリカは隔たっているとはいえ、ヨルバのシャンゴ王の神話の例にみられるように、かならずしも縁遠いものばかりではない。天孫降臨系の神話もその例の一つであろう。海幸(うみさち)・山幸(やまさち)の神話は、「失われた釣り針」のタイプとして世界各地で採録されているが、実際にナイジェリア北東部のロングダ人の間でも、「2人兄弟の弟が兄から借りた槍(やり)をなくしたが、動物の国へ行って取り戻し、帰ってきて兄を懲らしめる」という概略の神話が採集されている。また蘇民(そみん)将来と類似の説話や羽衣(はごろも)系の説話も報告されている。これらは神話のもつ基本構造の等質性を示すものであり、人間性の普遍的な側面を示す例の一つであると思われる。
フロベニウスに始まり、ドイツの民族学のアフリカ研究のなかからは、バウマンの『アフリカの天地創造と原時代』(1936)や『両性具有』(1955)のような文化圏説に基づく神話の比較研究が現れてきた。これらの研究は、今日文化圏説が崩壊したので理論的影響力はほとんどないが、一種のアンソロジーとしては有効である。同じことは、1940~1950年代にスウェーデンのウプサラ大学を中心に刊行されたH・テグネウスの『文化英雄』(1950)やH・アブラムソンの『アフリカ神話における死の起源』(1951)についてもいえる。
ドイツおよびスウェーデンのほかでは、アメリカのアリス・ワーナーが「全人類の神話」シリーズのなかで『アフリカの神話』(1925)を刊行した。ワーナーは手堅い研究者であったので、この本はアンソロジーであるとともに、民俗学的知見も含まれている。
フランスでは1910~1920年代に、モジリアニやピカソのようなキュビスムの画家がアフリカの彫刻の影響を受けたこともあって、アフリカ文化への関心が高まった。そのなかでシュールレアリスムの作家ブレース・サンドラールが『黒人民譚集』(1921)を編み、このアンソロジーのなかに収録された象牙(ぞうげ)海岸の創世神話に刺激され、ダリウス・ミヨーがバレエ組曲『天地創造』を作曲した。これは、画家のフェルナン・レジェによるステージ・デザインで舞台にかけられたため、アフリカ神話は立体的なものとして西欧でも理解される手掛りを得た。
こうした時代の雰囲気のなかで、西アフリカのドゴン人の社会で15年にわたって調査を続けたマルセル・グリオールは、ドゴン人の形而上(けいじじょう)学的ともいえる神話を1人の盲目の伝承者(オイゴテメリ)から採集し、これを『水の神』(1948)という書物で発表し、読書界を驚倒させた。
[山口昌男]
アフリカ神話の起源
ドゴン人の神話において、宇宙は創造神アンマのことばから生じたことになっている。アンマの創出したキゼ、ウジという原初的存在は、ケシ粒のような穀粒の姿をしていた。この神が自ら動き出し、毎回振幅を広げながら七度振動することによって宇宙全体を表象する「宇宙卵」ともいうべき、あるいは始原的子宮ともいうべき物体を発生させた。この宇宙卵の中には二つの胎盤が仕込まれており、そのおのおのに双子のノンモ神の種が含まれていた。二つの胎盤のうちの一つから、1人の男児(ユルグ神)が月満ちる前に出てきた。彼は野心の権化で、全宇宙の支配者になりたいという野心を抱いていた。彼は創造神アンマのつくった小粒の穀物を盗み、妹のヤシギ神を連れて出ようと胎盤の一部を食い破った。彼は胎盤で箱舟をつくり、盗んだ数々の品を乗せて天空を降り始めた。この反逆を知ったアンマは、もう一方の胎盤にとどまっていたヤシギ神をノンモ神のところに預けた。反逆した男児の盗み出した胎盤は大地となった。男児は母胎の一部である大地と交わった。いわば最初の近親相姦(そうかん)が行われたことになる。この穢(けがれ)のゆえに湿潤であった大地は乾燥し始め、不毛となった。ユルグ神は銀色の狐(きつね)に変身させられ、自分のアニマ(魂の女性的な対の部分)を絶えずむなしく求めるように運命づけられることになった。ノンモによって汚された宇宙の秩序を回復するために、アンマは、ノンモの身体を切り刻んで四方にまき散らした。この部分は、それらに対応する世界の秩序ある構成要素となった。
(a)頭――東――水――商業、手工業
(b)下肢――西――空気
(c)胸――南――火――農耕
(d)腹――北――大地――占い、医術、商業
これらのおのおのはドゴンを構成する四つの部族となり、全体として一種のカースト制を構成するに至った。こののち創造神アンマは、ノンモの身体の断片をふたたび寄せ集めて生き返らせた。実はノンモは単数であると同時に複数であった。アンマは、次にノンモたちのこもっていた胎盤で長方形の箱舟をつくり、この箱に1組のノンモと、先につくられた4組の祖先、そのほか数々の動物、植物、鉱物などを乗せて地上に下らしめた。つまり、これまでのできごとは天空において起こっていたことであった。箱舟が地上に到来すると、それまで闇(やみ)に閉ざされていた宇宙に光明が現れ、豪雨が降って大地を清め、豊饒(ほうじょう)なものにした。4組の祖先は12人の子を産んだ。ノンモの指導のもとに、世界の秩序が築かれ、子孫の繁栄が保証される。
[山口昌男]
神話の秘密
他の諸文化における神話同様、ドゴンの神話も初めから創作されて書き下ろされたものではないので、一つの主題に対して数多くのたとえ話が語られる。これに加えて、もっとも重要な部分は秘め隠され、なおかつ年齢に応じて進級する結社のもっとも長老のメンバーにしか明かされない秘密に属することもある。したがってこうした最重要の秘密の知識の伝達は、部族の儀礼のなかでは厳粛な部分に属する。そのため、こうした組織に属さない普通の人は、こうした神話の存在すらも知らない場合が多い。しかし、人間の身体に始まって、家族、社会構造、祭祀のための集団、労働、住居、村落など、人間を包む世界全体の目に見えないつながりが、最終的にはこうした創造神話によって説明される。そして人間が、どういった宇宙の全体像のなかに統合されるかという点に、神話は光を当てる。
[山口昌男]
神話と王国
ドゴンの神話は、アフリカ神話の体系的な表現では頂点に位置している。アフリカ人の神という観念のなかでは、普通、至高神は人界を離れてひとり鎮座ましましているということになっている。そのため天がどのようにして地から離れたかという、他の地域では神話として語られるような説話が、西アフリカでは昔話の一部として比較的気楽な形で語られる。たとえばガーナのアシャンティ人の神話では、至高神ニヤンコポンは、昔、人間の世界の近くに鎮座ましましたと語られる。天が地上に近かったために、怠け者の女たちは天に手を伸ばし、雲の一片を引きちぎって手をふくのに使った。それで至高神ニヤンコポンはすっかり嫌になり、天空はるかに引き上げてしまった。
すでに述べたドゴンの場合には、政治組織は高度に集権化されておらず、各氏族の祭祀集団の司祭(ホゴン)が中心的な位置を占める。しかし、スーダン南部のシルック人におけるように、神聖王権を中心に政治の象徴空間が確立している文化においては、王国の創始者の神話が新しい王の即位式との関連において語られる。シルックの最初の王であるニイカングは、かつて叔父のもとに滞留し不幸な運命に甘んじて暮らしていたが、ある事件をきっかけとして叔父の支配する国土を脱出し、シルックの地に長征を敢行する。そして在来の勢力との激烈な戦闘のすえ、この勢力を降(くだ)して王座につく。しかし彼は、治世の終わりに風に乗って砂漠のかなたへ去ってしまった。
今日も行われるシルックの即位式は、このニイカング王の長征神話を再現する儀礼演劇である。ここでは神話は語られるばかりではなく実際に演じられるのである。新しい王の即位式に際して、シルック王国の地は始まりの聖なる空間として再編される。各地に散在する氏族集団は、先祖が王権神話のなかで演じた役割を再演する。こうして個人は自らが属する集団を通じて、新王の即位式に際して上演される神話の時間、空間の再現である王権劇のなかで、より広大な宇宙的連関の網の目のなかに自らを置き換えてみることができる。このような位相でみるとき、神話はそのもっとも大きな広がりを獲得し、人間が心の深い部分における統一を保障するものであるということを明らかにする。
[山口昌男]
トリックスターの役割
アフリカ各地ばかりではなく、アフリカ系住民が広がった南北アメリカ大陸、およびカリブ海の島々でもっとも愛される神話の主人公は、トリックスター神である。西アフリカでは野兎(やと)、蜘蛛(くも)、ときには亀(かめ)などの姿で活躍することが多い。人間に近い神として語られる場合にも、また動物として語られる場合にも、ストーリーにはそれほど大きな違いはない。多くの場合神の子として至高神に近い立場にあり、神と人間の世界の仲立ちをする。気まぐれでいたずら者でもあるので、世界に未知の文化の要素を持ち込んで「文化英雄」的役割を果たすこともあるが、混乱を巻き起こすことのほうが多い。しかし混乱はまた新しい秩序の源泉になるので、この神の行為は秩序と混沌(こんとん)の間を行き来するところにその特徴がみられる。普通、トリックスターとはみなされない神も、全体の枠組みのなかでよく観察してみると、本質的にはトリックスター神の属性を備えている場合がある。たとえば、すでにあげたドゴン人のノンモ神と対(つい)になるユルグ神は、ある意味では双生児の一組のような存在である。中央アフリカから北東ナイジェリア、さらにカメルーン南部では、スー神、ト神またはワント神とよばれる双生児の片割れがつねに善神と対をなし、いたずらや失敗によって聴衆を楽しませながら天と地をつないだり、農耕をもたらしたりすることによって最終的にトリックスター的役割を果たす。ユルグ神もそういった神格であったと考えることができるであろう。
このようにトリックスター神は、対の存在と比べると地位の低い神として語られていることが多い。至高神(ガーナのアシャンティ人)、王(ナイジェリアのヨルバ人、ジュクン人)、賢い兄弟または双生児の片割れ(中央アフリカ共和国のサラ人)などの例は、そうしたトリックスター神の語られ方の代表的な例である。しかし、彼はどの文化でも神の本来の姿、つまりあらゆる対立とか秩序といったものを超越した存在としての本来の姿を現している存在なのかも知れない。この神の神話は西アフリカばかりでなく、スーダンから東アフリカのバントゥー諸語族の諸文化のなかでも語られ、とくに後者の場合はふたたび野兎の姿となって現れる。
アフリカ神話はカリブ海を通して南北アメリカ大陸に広がった。とくにこの場合、トリックスター神話が圧倒的な広がりをみせた。アフリカ系アメリカ人に伝わる「リーマス爺(じい)の語るブレアー兎(うさぎ)」は、アフリカ全土において広く語られている野兎=トリックスターの神話の系譜に属する。また西アフリカのヨルバおよびダオメー(ベナン)の神話で語られるトリックスター神エシュ・エレグバは、ブードゥの境界の神として転生した。このようにアフリカ大陸では、天と地という相反する空間をつないだ神は、新大陸と旧大陸を結ぶ存在として、神話の世界のなかで生き続けているといえる。
[山口昌男]
『山口昌男著『アフリカの神話的世界』(岩波新書)』