日本大百科全書(ニッポニカ) 「イギリス南アフリカ会社」の意味・わかりやすい解説
イギリス南アフリカ会社
いぎりすみなみあふりかがいしゃ
British South Africa Company
1889年セシル・ローズとアルフレッド・バイトによって設立された特許会社。ンデベレ人(マタベレ人)の首長ロベングラから鉱山採掘権を取得し、リンポポ川以北の南ローデシア(現、ジンバブエ)の開発と白人入植を目的とした。同年10月、イギリス女王より特許(ロイヤル・チャーター)を与えられ、同地域の行政、司法権を許されたのみならず、会社所属の軍隊をもった。設立時の資本金は100万ポンドで、会社は毎年イギリス政府に活動報告書を提出することが義務づけられ、イギリス王室は25年後(それ以降は10年ごと)に特許を更新することを定めた。1893年のマタベレの反乱に際して、会社は反乱を鎮圧し、以後南ローデシアの支配権を得て、鉱山採掘に伴う鉄道建設、農業開発に伴う白人移民を奨励した。1920年代初め、会社の独占的支配に対する白人入植者の反対が高まり、イギリスは南ローデシアに対し、自治政府へ移行するか隣国南アフリカ連邦へ合併するかの選択を迫った。1922年10月国民投票の結果、自治政府移行賛成者が多数派を占め、1923年9月ローデシア自治政府が成立、会社の支配は終わった。しかしその後も会社は375万ポンドの補償金を得て、南ローデシアの基幹産業を支配するとともに、北ローデシア(現、ザンビア)にも進出した。
[林 晃史]