改訂新版 世界大百科事典
「アブドアルカーディル」の意味・わかりやすい解説
アブド・アルカーディル
`Abd al-Qādir
生没年:1808-83
アルジェリアの政治家。1830年のアルジェ占領以降フランスが進めたアルジェリア植民地化政策に対して,全国各地で民衆の武力抵抗運動が組織された。アブド・アルカーディルはその代表的指導者であり,現代アルジェリア民族運動の父とみなされている。西アルジェリアのアラブ系豪族の出で,父親はスーフィー教団の指導者であったが,32年に選ばれてアミール・アルムーミニーンとなり,侵略者に対するジハード(聖戦)を開始した。37年には西部から中央にかけて全土のほぼ2/3を支配下に収めて,植民地化に対抗するため国家機構と軍制の整備,税制の改革などを試みた。39年以降フランス軍と全面戦闘に入ると,しだいに追いつめられながら,47年に降伏するまで徹底的抗戦を続けた。フランスで5年間虜囚生活を送った後,シリアのダマスクスで晩年を過ごした。
執筆者:宮治 一雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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「アブドアルカーディル」の意味・わかりやすい解説
アブド・アルカーディル
アブデル・カーデルとも。アルジェリアの反仏運動指導者。フランスによる植民地化が進む中,1832年アミール(信徒の長)に選ばれると,以降諸部族を統合して反仏戦を遂行。1837年タフナ条約を結んでアルジェリアの3分の2を回復したが,結局1847年敗れてフランスに拘禁される。1852年ナポレオン3世に釈放され,以後ブルサ,ダマスカスで著述に従事。
→関連項目トルココーヒー
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世界大百科事典(旧版)内のアブドアルカーディルの言及
【コーヒー】より
…コーヒーにたいする渇仰(かつごう)ともいうべき風潮やコーヒー店でかわされる政治談議は,為政者にとって危険な現象と映じ,コーヒー店やコーヒーの飲用に干渉,弾圧が加えられることもあった。他方,同じ16世紀中ごろイスラム教界の長老アブド・アルカーディルは,コーヒーについての知識をまとめた一書をものしてコーヒーを賛美した。その手写本は,ルイ14世によってトルコからフランスに移され,コーヒーの来歴を伝える唯一の文献として,現にパリのビブリオテーク・ナシヨナルに所蔵されている。…
※「アブドアルカーディル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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