改訂新版 世界大百科事典 「シャイフ」の意味・わかりやすい解説
シャイフ
shaykh
一般的に〈長老〉〈老人〉を意味するアラビア語であるが,さまざまな集団の長を意味することもある。とくにアラブのベドウィンは,各種のレベルの血縁集団の長をシャイフと呼んだ。ことに重要なのは,部族の長としてのシャイフ(またはサイイド)である。部族のシャイフは,年齢,家系,性格,能力などの諸要素を総合して,全体の合意を得られるような人物が選ばれた。部族の有力者の話合い(マジュリス)で選ばれるのが普通であった。シャイフの権限は限定されたものであり,部族内においては,その役割は主として調停者としてのそれであった。シャイフが部族全体に指揮権をふるうのは戦争においてのみである。
部族を超えて国家が成立すると,シャイフは国家と部族を結ぶ接点となった。たとえば,ウマイヤ朝のカリフ,ムアーウィヤ1世は,カリフの私的諮問機関として有力部族長からなるシューラーshūrāという会議を開いた。このムアーウィヤ1世のやり方自体,アラブの部族のシャイフのあり方をそのまま踏襲しているが,ともかくシューラーを通じてカリフは部族と意思疎通を図ろうとしたのである。現在のサウジアラビア王国でも国王は部族長の意見を聞く会議を開いている。
シャイフは部族民に対してはそれほど強制力はもたないし,全体に対して公平にふるまうよう期待されているが,それでもその力は富を生み出し,家畜の数やナツメヤシの数,現在ではトラックの数などでは,部族民より明らかにまさっている。シャイフが自身のために利益誘導をすることは,一般にある程度認められている。
シャイフという称号は部族社会以外の社会でも使われている。都市の街区(ハーラ)のシャイフ,農村(むら)のシャイフ(シャイフ・アルバラド),ギルドのシャイフなどである。これらのシャイフは部族のシャイフと基本的には同じ性格をもっていた。すなわち,内に対しては調停者であり,外に対しては支配者との接点であった。支配者との関係でいえば,多くの場合,このカテゴリーのシャイフは行政組織の末端であり,彼を通じて行政が一般大衆の中に入っていった。そのような役割の一つとして,シャイフが徴税にかかわることがしばしばあった。一方ではシャイフは,大衆の支配権力に対する反抗のリーダーともなりえた。このようにシャイフは小さな共同体の調停者ではあったが,何かあった時には,かなりの指導権をふるえる存在でもあった。
シャイフという称号は,尊敬を表す敬称としてウラマーやスーフィーにも与えられた。シャイフは決して制度的称号でも資格でもないので,ウラマーのうちだれがシャイフと呼ばれるかは,はっきりした基準があるわけではない。広くその学識と人格が他より優れていると認められた人がシャイフと呼ばれ,ウラマーの社会では,そういう人々がリーダーシップをとった。またスーフィーの場合も,ウラマーのシャイフと同じで,スーフィーとして信仰と人格がとくに優れていると広く認められた人がシャイフと呼ばれた。このようなスーフィーのもとには多くの求道者・弟子(ムリード)が集まり,死後は聖者としてその墓は尊崇の対象となったりすることが多かった。スーフィーの場合の尊称は,シャイフ以外に各地でさまざまな呼び方がある。
このようなシャイフの中のあるものは,国家の制度に取り入れられ,一種の官職として支配者によって任命された。たとえば,マムルーク朝のスーフィーの長としてシャイフ・アルマシュヤハやオスマン帝国のウラマーの長としてのシャイフ・アルイスラームなどはそれぞれのスルタンによって任命された。
執筆者:湯川 武
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報