アンジロー(その他表記)Angero

改訂新版 世界大百科事典 「アンジロー」の意味・わかりやすい解説

アンジロー
Angero

ヤジロウ弥次郎Yajiroと表記されることもある。生没年不詳。室町末期,薩摩出身で,職業は貿易商人と推測される。人を殺害して逮捕される寸前にポルトガル商人ジョルジェ・アルバレスに助けられ,日本脱出に成功。アルバレスの紹介で,1547年12月マラッカにおいてザビエルに会った。アンジローの才知はザビエルに感銘を与え,彼の来日のきっかけをつくった。48年3月ゴアに渡り,洗礼を受け,パウロ・デ・サンタフェという教名を与えられた。日本出発までの期間,教理教育を受けるかたわら,日本の情報を提供し,教義の翻訳に協力した。49年(天文18)8月ザビエル,トレス,フェルナンデスらに同行して帰国し,案内者,通訳として活躍した。ザビエルの薩摩退去後も同地にとどまり,布教に従事したが,末路は明らかでない。フロイスの《日本史》によれば,八幡船に乗り組んでいて中国沿岸で没した,という。
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朝日日本歴史人物事典 「アンジロー」の解説

アンジロー

生年:生没年不詳
日本人最初のキリスト教徒。薩摩国(鹿児島県)生まれ。殺人を犯して東南アジア方面へ逃亡。1547年,マラッカでザビエルに会い,その勧めによりゴアの聖パウロ学院で学び,受洗。洗礼名は,パウロ・デ・サンタ・フェー(聖信のパウロ)。ザビエルに日本の情報を与え,日本布教に多大な影響をおよぼした。天文18(1549)年8月,ザビエルに従って鹿児島に戻る。ザビエルのためにゴアと鹿児島でキリスト教の教理書を日本語に翻訳した。晩年は,伝聞によると,中国・浙江省の寧波で殺されたという。ポルトガル語の書簡2通が伝わっている。<参考文献>河野純徳『聖フランシスコ・ザビエル全生涯』

(浅見雅一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「アンジロー」の解説

アンジロー Angero

1512/13-? 戦国時代のキリシタン。
永正(えいしょう)9/10年生まれ。マラッカでザビエルに洗礼をうけ,日本人初のキリシタンとなる。天文(てんぶん)18年ザビエルを案内して郷里の薩摩(さつま)鹿児島にもどり,布教をたすけた。貿易商池端弥次郎と同一人とする説もある。名は安次郎ともかく。別に弥次郎,里見ヤジロウとも。洗礼名はパウロ=ダ=サンタ=フェ。

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百科事典マイペディア 「アンジロー」の意味・わかりやすい解説

アンジロー

ヤジロウ(弥次郎)とも。日本最初のキリシタンとされる。生没年不詳。薩摩(さつま)の人。殺人の罪を犯し,マラッカに渡り,そこでザビエルの教えをうけ受洗。1549年ザビエルを案内して鹿児島に上陸,各地を伝道。のち迫害をうけ,行方不明。

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旺文社日本史事典 三訂版 「アンジロー」の解説

アンジロー
Anjiro

生没年不詳
戦国時代,日本最初のキリシタン信徒
弥次郎 (やじろう) ともいう。薩摩の人。殺人の罪を犯して国外に逃亡,東南アジアを転々とし,1546〜47年ごろマラッカでザビエルにより受洗。'49年彼に同道して帰国,各地に伝道した。晩年の消息不明。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「アンジロー」の解説

アンジロー

ヤジロウ

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