シニャック(読み)しにゃっく(英語表記)Paul Signac

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シニャック」の意味・わかりやすい解説

シニャック
しにゃっく
Paul Signac
(1863―1935)

フランスの画家。富裕な馬具商の息子としてパリに生まれる。生涯経済的に困ることはなかったが、思想的には筋金入りアナーキストであった。1882年の数か月間エミール・バンのアトリエで学んだほかは正式な絵画教育を受けなかった。初期の作品は、モネ、さらにはギヨーマンの強い影響を示している。84年、アンデパンダン芸術家協会創設の際スーラ親交を結んでからは、光と色彩の科学的法則に目を開かされ、以来2人は互いに欠を補い合いながら新しい絵画理論の構築と実践に邁進(まいしん)し、新印象主義発展の牽引(けんいん)車となった。2年後の86年、印象派最後の展覧会にともにその成果を発表、新印象主義の誕生を告げた。当時の代表作に『フェリクス・フェネオンの肖像』(1890)がある。シニャックにとって91年のスーラの急逝は大きな痛手となり、新印象主義の一時的な衰退を招いたりもしたが、この運動のスポークスマンを自ら任ずる彼は、やがてふたたび精力的にその普及活動に乗り出す。同時に、科学的に正確に統御された小さな色斑(しきはん)によるスーラの点描法から、比較的大きなモザイク状の描法に転じ、より純粋な色彩画家としての側面を鮮明にするようにもなった。アンデパンダン協会の会長を務めたり、自ら発見したと称する南フランスのサン・トロペに芸術家を招いてそのホスト役を務めるなど、数々の交友によって新印象主義の画法次代の画家たちに伝えるうえで大きな役割を果たした。また文筆活動も盛んで、その明晰(めいせき)な著作『ウージェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』(1899)は色彩理論の基本的なテキストとなった。パリで没。

[大森達次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シニャック」の意味・わかりやすい解説

シニャック
Signac, Paul

[生]1863.11.11. パリ
[没]1935.8.15. パリ
フランスの新印象主義の画家。 A.ギヨーマンの弟子セザンヌゴッホ,ゴーガンらの作品に学び,水辺の風景画にすぐれる。アンデパンダン展の創設に尽力,1908年から死去まで同会長をつとめた。 1884年の第1回展出品の G.スーラの作品『水浴-アニエールにて』に共感,彼とともに点描主義を推進し,新印象主義運動の発展に尽力した。彼の作品はスーラの点描より大きな点を用いたモザイク的,装飾的作品が多い。主要作品に『港』 (1888) ,著書に『ドラクロアより新印象主義まで』D'Eugène Delacroix au néo-impressionnisme (99) ,『ヨンキンド』 Jongkind (1927) などがある。

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