アンドロノボ文化(読み)アンドロノボぶんか(英語表記)Андроново/Andronovo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンドロノボ文化」の意味・わかりやすい解説

アンドロノボ文化
アンドロノボぶんか
Andronovo culture

アルタイ文化の流れのなかで一時期を占める青銅器時代の文化。 S.テプロウホフによって認められ,その分布範囲は,南シベリアのアルタイ山地,カザフスタン,ミヌシンスク地方に及んでいる。その名称は,アチンスク近くのアンドロノボ村から取られた。墳墓円形の低い墳丘で,ときに石囲いをもち,板石や木で組まれた墓壙 (墓穴) がある。人骨は南西に頭を向け,側臥屈葬で,火葬の場合もある。この文化をもったのは,牧畜と原始農耕を営む父系制社会であった。西方では木槨墳 (スルブナヤ) 文化,北方ではオビ,イルティシ両川下流の青銅器文化と接触していた。年代については一致しないが,S.V.キセレフによって推測された,前 1750~1200年という説が信じられている。南部ザウラル地域では,K.B.サリニコフによって,フェドロフ期,アラクリ期,ザマラエフ期に編年されているが,確実なものではない。すなわち,ミヌシンスク地方におけるフェドロフ期の遺跡は明確ではない。前 2000年の終末に,エニセイ川,オビ川上流ではカラスク文化に,またカザフスタン,南部プリウラル,ザウラルの地域ではタザバギャブ文化に交代する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンドロノボ文化」の意味・わかりやすい解説

アンドロノボ文化
あんどろのぼぶんか
Андроново/Andronovo

紀元前二千年紀中ごろから前一千年紀初めまで、西シベリアの南部一帯に広く分布した青銅器文化。銅と錫(すず)を坑道によって採掘し、これの合金である青銅で、刀子(とうす)、短剣、鎗(やり)、斧(おの)、鎌、耳輪などを、鍛造はもとより鋳造によってもつくった。生業の中心は家畜飼養で、ウシ、ウマ、ヒツジが対象とされた。副次的に小麦の栽培もなされており、したがって集落は、農耕に適した川沿いの冠水肥沃(ひよく)地に形成されている。たとえば、アレクセーエフ遺跡では、20軒以上の住居址(し)が調査されているが、いずれも貯蔵用の穴と、暖房用および調理用の2種類の炉を有していた。つまり、定住度の高い半牧半農の生活形態である。彼らはこの地域における最初の騎馬民族とみなされている。遺骸(いがい)は低い盛り土墳に屈葬で埋められ、まれに火葬もなされた。また、家畜を犠牲にした豊饒(ほうじょう)儀礼が行われたらしく、土壙(どこう)から、焼かれた家畜の骨といっしょに、食物を入れた壺(つぼ)や小麦が出土している。

[大塚和義]

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