ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンナ・イワーノブナ」の意味・わかりやすい解説
アンナ・イワーノブナ
Anna Ivanovna
[没]1740.10.28. ペテルブルグ
ロシア女帝 (在位 1730~40) 。ピョートル1世 (大帝) の異母兄イワン5世の娘。 1710年クールラント公妃となる。その後未亡人になったが,30年ピョートル2世の死後,枢密院の帝権制限「条件」を受入れることを約束して即位。しかし下級貴族の間に名門貴族の専横に反発する空気のあるのを知ってこれを利用し,帝権制限条項を破棄,枢密院の廃止を断行して独裁権を確立。バルト海沿岸諸州出身の多数のドイツ貴族を抜擢し,ロシア人貴族を徹底的に弾圧する恐怖政治 (ビロン体制) をしいた。その国内政策の基調は下級貴族の身分的特権の拡大と封地での収奪の強化にあり,農民は過酷な重税でその生活を一段と悪化させられた。対外活動も活発で,ポーランド継承戦争 (33~35) に干渉し,さらにトルコとの戦争 (36~39) を行なった。この戦争で,ロシアは大勝したが,同盟国オーストリアの敗北のため念願の黒海岸への進出は果せなかった。ロシアの貿易も伸張し A.I.オステルマンの努力で 34年イギリスとの間に通商条約が締結された。しかし両度の戦争と彼女の宮廷での乱費によってその末年国家財政は破綻し,その没後,イワン6世が即位したが,ドイツ人支配に対するロシア人貴族の不満が急速に高まり,ピョートル1世の娘エリザベータ・ペトローブナによる宮廷革命が起った。
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