天正カルタが四八枚から成るのに対し、主として七五枚から成る。紋標は前者のイス(剣)・ハウ(青)・コップ(杯)・オウル(玉)にクル(巴)が加わり、数標はそれら各々の一~一二のうち一を一とロハイ(龍)とに分け、さらにウン(福祿寿・恵比須・大黒・布袋・達磨)・スン(唐人)が加わる。「読み」「合わせ」「めくり」等種々の遊び方がある。
天正かるたから派生したかるたの一種。宇牟須牟骨牌とも書く。16世紀後半ポルトガル伝来のカルタを模して作られた天正かるたは,江戸時代庶民に広まり賭博(とばく)に使われたため,幕府は禁令を出した。しかしその効果はなく,禁令が繰り返される中で,元禄の終りころ〈うんすんかるた〉が考案され,これが幕府の公認するところとなった。天正かるたの48枚を基に,札の枚数を75枚に増やしたもので,ハウ(棍棒),イス(剣),コップ(聖杯),オウル(貨幣),クル(巴)の5種があり,それぞれ1から9とウマ(騎士),コシ(王),ロハイ(竜),ソウタ(女従者),スン(唐人),ウン(福の神や達磨)の絵札6枚からなる。版木による大衆向けもあるが,金箔手がきの高級品のほうが多く残されている。この公認かるたも結局は寛政改革の際,他のかるた類とともに禁止された。しかし熊本県人吉市には,今日なおその遊戯法が伝承されており,1965年熊本県重要無形民俗文化財に指定された。遊び方はトランプのオンブルに似ており,切札,札の強弱など非常に複雑である。
→かるた
執筆者:村井 省三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸初期、南蛮船で日本に渡来した西洋かるた。「うんすん」は元来ポルトガル語um sumで、最高最上の意。1686年(貞享3)刊の『雍州府志(ようしゅうふし)』(黒川道祐(どうゆう))には、オランダ人がもてあそんだものをまねて遊び道具にしたとある。最初「天正(てんしょう)かるた」といい、札数は4種各12枚で合計48枚。伊須(いす)または伊須波多(いすはた)(剣の紋様)・波宇(はう)(同青色の太陽)・古津布(こつふ)(同酒盃)・宇留(うる)(同玉)の4組で、各組とも1から9枚まではそれぞれの紋形が記され、10枚目は法師、11枚目は騎馬の人、12枚目は椅子(いす)にかけた人が描かれている。3人から5人で札を切って配り、トランプに似た遊び方をした。その後明和(めいわ)(1764~72)のころ日本化されて札が75枚に増加し、安永(あんえい)(1772~81)にかけて流行したが、賭博(とばく)に用いられたため、たびたび禁止された。1768年(明和5)印行の『半日閑話』(大田南畝(なんぽ))には、布袋(ほてい)・福禄寿(ふくろくじゅ)・恵比寿(えびす)・達磨(だるま)図の札を「うん」、黒冠の唐人図の札を「すん」とよぶとある。賭け事(かけごと)遊びに用いられ、「花かるた」に発達した。
[斎藤良輔]
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