エクセター(読み)えくせたー(英語表記)Exeter

翻訳|Exeter

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エクセター」の意味・わかりやすい解説

エクセター
Exeter

イギリスイングランド南西部,デボン県の県都。エクセター地区を構成する。プリマス北東約 60km,イギリス海峡に注ぐエクス川の河口から約 16km上流の沿岸に位置する。イギリスの先住民であるドゥムノニ族の中心地であったが,1世紀半ばにローマ人に占領され,イスカドゥムノニオルム Isca Dumnoniorumと呼ばれた。アングロ・サクソン時代から中世を通じて,イングランド南西部の中心的都市として激しい歴史の変化の波に洗われ続けたが,中世には多くの商人ギルドが形成され,商業中心地として発展。エリザベス朝時代に毛織物の製造が始まり,その生産高は最盛期にはイングランド北部のリーズに次ぎ,港はその積出港として繁栄。県の商業中心地で,サービス業に従事する人が多いが,金属加工,皮革製紙,農業機械などの工業も行なわれる。第2次世界大戦中,空襲により市街は広範囲にわたり被害を受けたが,1275年頃創建された中期イギリス・ゴシック様式の聖ピーター大聖堂や 14世紀のギルドホールなどの歴史的建築物が残っており,観光客も多い。エクセター大学(1922),ロイヤル・アルバート記念博物館などがある。面積 47km2人口 11万5200(2004推計)。

エクセター(公・侯・伯家)
エクセター[こう・こう・はくけ]
Exeter, Dukes, Marquesses and Earls of

イギリスの貴族家柄。 1397年ジョン・ホランド (1352?~1400) が公爵に叙せられたのに始るが,彼はヘンリー4世に謀反を起して処刑されたため,爵位は絶えた。次に 1416年ジョン・オブ・ゴーントの末子トマス・ボーフォート (27没) に公爵位が授けられたが,彼一代で終った。 43年初代公ホランドの子ジョン・ホランド (1395~1447) が,百年戦争における功績により,父の称号を許され,ホランド系公爵家が再興されたが,61年その子ヘンリーの刑死とともに断絶。 16世紀にいたり,ヘンリー8世の従弟でデボンシャー伯のヘンリー・コートニー (96?~1538) が,1525年侯爵に叙せられた。彼は宗教改革を支持して小修道院解散 (→修道院解散 ) に際しては国王代理に任じられ (35) ,「恩寵の巡礼」の鎮定責任者になるなど,よく王に仕えたにもかかわらず,王位簒奪の野心を疑われて投獄され,斬首された。そのため侯爵位も一代限りで断絶。伯爵位は,1605年セシル家の2代バーリー男爵トマス (42~1623) に授けられたのに始り,以後代々その子孫が継承し,1801年 10代伯ヘンリーのときから侯爵に昇格した。

エクセター
Exeter

アメリカ合衆国,ニューハンプシャー州南東部,ロッキンガム郡にある町。ポーツマス港の西南西約 20kmに位置する。 1638年入植開始。初期にはしばしばインディアンとの争いが起った。 19世紀に製造業が発展し,現在は繊維,靴,電子器具などがおもな生産品。人口1万 2481 (1990) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エクセター」の意味・わかりやすい解説

エクセター
えくせたー
Exeter

イギリス、イングランド南西部、デボン県の県都。人口11万1078(2001)。コーンウォール半島南西部、エクス川河口から約15キロメートル上流にあり、港がある。戦略、交通上の要衝を占め、歴史上しばしば争乱に巻き込まれ、第二次世界大戦中はアメリカ海軍の補給基地になった。流通・サービス業が盛んな商業都市で、ほかに金属、皮革、農機具などの軽工業もあるが規模は小さい。ノルマンの城や大聖堂などの古い建築物も多い。エクセター大学は1955年設立。

[井内 昇]

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