エリン・ペリン
えりんぺりん
Елин Пелин/Elin Pelin
(1877―1949)
ブルガリアの作家。本名ディミタル・イワノフ・ストヤーノフ。批判的リアリズムの旗手、短編の巨匠と目された。短編集『夏の日』(1904)、『ぼく、きみ、かれ』(1936)、『修道院の葡萄(ぶどう)の下で』(1936)など、教師時代に見聞した農民の苦しい生活を描いて社会風刺をし、かつ自然と人間のつながりを説いた傑作が多い。農村を舞台にし、素朴な表現のなかにユーモアとペーソスが漂う作風である。中編『ゲラク家の人々』(1911)では、資本主義の生成によって農村が変貌(へんぼう)し家長制度が崩壊するさまを描いた。幼・少年向きの詩、物語、民話も多く、解放後の児童文学の発展に貢献した。とくに長編『ヤン・ビビヤン』『ヤン・ビビヤン月へ行く』(1933、34)の二部作は、斬新(ざんしん)な題材を使ったいたずらっ子の冒険物語で、いまでも人気があり、テレビ化されたり諸外国語にも訳されている。
[真木三三子]
『松永緑弥訳註『エリン・ペリン短編集』(1983・大学書林)』
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エリン・ペリン
Elin Pelin
生没年:1877-1949
ブルガリアの短編作家。本名ストヤノフDimitǎr Ivanov Stojanov。ソフィア近くの農村に生まれ育ち,チェーホフやゴーリキーの影響を受けて,《草刈り人たち》(1903)など農民の苦しい生活をリアルに描いた短編,《あの世で》(1902)などユーモラスに扱った短編,《アンドレシコ》(1903)など農民の抵抗を描いた短編を多く書いた。中編《ゲラク家》(1911)や童話《ヤン・ビビヤン》(1933)なども有名である。
執筆者:松永 綠彌
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エリン・ペリン
Elin Pelin
[生]1877.7.18. バイロフ
[没]1949.12.3. ソフィア
ブルガリアの作家。本名 Dimitǎr Ivanov Stoyanov。ブルガリアのチェーホフともいわれ,すぐれた短編作品が多い。代表作『ゲラク家』 Geratsite (1911) ,『土地』 Zemya (22) 。
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「エリン・ペリン」の意味・わかりやすい解説
エリン・ペリン
ブルガリアの作家。ソフィア近郊の農村を舞台に,地主の欲を皮肉な表現で批判,農民の喜びと知恵を描く。短編集《夏の日》ほか。
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エリン・ペリン
生年月日:1877年7月18日
ブルガリアの作家
1949年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のエリン・ペリンの言及
【ブルガリア】より
…個人主義を標榜しつつも《血まみれの歌》(1911‐13)を書いたスラベイコフPenčo Petkov Slavejkov(1866‐1912),フランス近代詩の影響を受けた象徴派詩人ヤボロフやデベリャノフDimčo Velev Debeljanov(1887‐1916)らに対し,[ブラゴエフ]を理論的指導者とするプロレタリア文学も興ってきた。しかし,カラベロフやバゾフらのリアリズムの伝統は《小さなソドム》(1920)のスタマトフGeorgi Porfiriev Stamatov(1869‐1942),ストラシミロフAnton Todorov Strašimirov(1872‐1937),とくに農村を描いた短編で有名な[エリン・ペリン]や[ヨフコフ]らによって受け継がれた。 両大戦戦間期はファシズムの嵐が吹き荒れ,それに対する抵抗運動が強まり,文学にも反映した。…
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