日本大百科全書(ニッポニカ) 「エルツ」の意味・わかりやすい解説
エルツ
えるつ
Robert Hertz
(1882―1915)
フランスの社会学者、民族学者。デュルケーム門下の秀才であったが、第一次世界大戦中33歳の若さで戦死した。彼の論文『右手の優越』は、象徴的二元論、象徴的分類に関する文化人類学的研究の先駆的業績である。右という語が強、善、吉といった意味をもつのは特定の民族に限らず、世界中に広く分布していることを比較研究によって示した。聖ベスに関する論文では、この信仰とこれに付随する神話を、地域的、政治的、宗教的体系に関連づけることによって解釈しようとした。これはマルセル・モースの提唱した「全体的社会的事実」という概念による解釈で、のちに現代の人類学者ニーダムもこういうとらえ方を用いており、エルツ自らは非西欧社会で調査したことはなかったが、その社会人類学への貢献は大きい。それにもかかわらず、エルツの業績は英米の人類学界で不当に軽視されることが多かった。
しかし、イギリスの社会人類学者エバンズ・プリチャードはナイル川上流の牧畜民ヌエルの調査にエルツの左右の象徴的二元論を活用し、槍(やり)は男の力や父系親族を象徴し、右側は、強、男性、善に、左側は弱、女性、悪に象徴的に結び付いていることを明らかにした。彼はオックスフォード大学の講義で長年エルツの理論を講じた。ニーダムはエルツの考えをさらに発展させ、ケニアのメル人の右と左の意味を探り、この問題に興味をもつ人類学者を招いて論文集『右と左:象徴的二元論』(1973)を編集、刊行した。いまでも双分制や象徴的分類に関する研究の多くがエルツに出発するといえるだろう。
[吉田禎吾 2018年11月19日]
『吉田禎吾・内藤莞爾・板橋作美訳『右手の優越――宗教的両極性の研究』(1980・垣内出版/ちくま学芸文庫)』