日本大百科全書(ニッポニカ) 「象徴的二元論」の意味・わかりやすい解説
象徴的二元論
しょうちょうてきにげんろん
dual symbolic classification
二元的象徴体系ともいい、世界観(宇宙像、コスモロジー)が、天と地、右と左、男と女、清浄と不浄、昼と夜など二元的に構成されているもののことである。これは象徴的分類の一つとされる。いわゆる未開社会のすべてに二元的象徴体系が顕著にみられるわけではなく、これが際だっている社会とそれほど顕著でない社会もある。
象徴的二元論が顕著にみられる社会の実例を一つあげよう。アフリカの農耕民ニョロNyoroでは、子供の出生に際し、父親は家の戸口の床に穴を掘る。子供が男の子の場合は戸口の右側に、女の子の場合は左側に穴を掘り、この中に母親の胞衣(えな)(後産)を埋める。ニョロの王は、右手を外に表しているが、左手は肩から手首まで覆い隠している。女はこれと逆に右手を隠し、左手を出している。このように二元的な象徴体系が際だっている社会と、これが顕著でない所があり、また二元的象徴体系のほかに三元的、五元的、九元的象徴体系など異なる象徴体系が同じ社会に共存している場合もある。この方面の研究の開拓者はR・エルツで、R・ニーダムはこの研究をさらに発展させた。
北アメリカのズニZuni・インディアンにおけるように、象徴的二元論が発達している社会では、社会が二つに分割されていることがある。たとえば「氏族社会」が二つの「半族」に分かれ、半族内の結婚を禁じ、片方の半族の者との結婚を行うなど、半族が婚姻規制を行うことがある。これは「双分(そうぶん)組織」といわれる。社会ないし村が二分されている場合、同心円的な分かれ方つまり中心部と周辺部とに分かれている型(メラネシアのトロブリアンド島の村)と、直線的に(たとえば東と西に)分かれていることがある。
かつてデュルケームは、象徴的二元論の世界観は社会の二分制ないし双分組織に由来すると論じたが、社会の二分制がない所でも、象徴的二元論が顕著な場合があり、社会が世界観を規制するとは限らないことが明らかになった。社会の二分制も、広い分類体系の一つとみるべきであろう。
インド東部のモンゴル人種に属する集団プルムPurumの社会は、母方交差いとこ(母の兄弟の娘)との婚姻を義務づけ、父方交差いとこ(父の姉妹の娘)との婚姻を禁じており、社会は、「嫁を与える側」と「嫁をもらう側」とに分かれている。ここでは、右/左、優/劣、前/後、男/女、吉/凶という象徴的対比がみられる。神に鶏を犠牲に捧(ささ)げるとき、死んだ鶏の右脚が左脚の上に重なっていれば吉兆であり、その逆は凶兆とされる。右は吉に、左は凶に結び付くからである。子供に名前をつける儀式でも鶏を殺すが、男の子のときは雄鶏(おんどり)を殺し、右脚が左脚の上にあれば吉、逆なら凶とされる。女の子の名付けのときには、雌鶏(めんどり)を殺し、左脚が右脚の上にあれば吉、右脚が上になれば凶とされる。つまり女の子の場合は男の子の場合とは解釈が逆転される。この儀式を通じて、男は右に、女は左に結び付いていることがわかる。
日本でも、右回りを尊重し、左回りは葬式のときに棺を回す回り方とする地方がある。また、神社の注連縄(しめなわ)や綱引きの縄を「左ない」にする例のように、「聖」に結び付くこともある。ニーダムのニョロの象徴的二元論に関する研究に対して、ニョロを調査したビーティJohn Beattieは1968年の論文で、ニーダムの象徴的二元論は研究対象の人々の心にあるのではなく、研究者があらかじめつくった図式を相手に押し付けているのではないかと批判した。これに対して、ニーダムは、象徴的分類は民族誌の事実を丹念に分析した結果としてとらえられる集合表象であって、その社会の成員個々人がそれを意識しているとは限らない。ある言語の話者がその言語の文法を意識しているとは限らないのと同様であり、分析の結果とらえた象徴的二元論がその社会の人々にかならずしも意識されていないからといって、それを否定する根拠にはならないと反論した。
[吉田禎吾]
『R・エルツ著、吉田禎吾・内藤莞爾・板橋作美訳『右手の優越』(1980・垣内出版)』▽『R・ニーダム著、吉田禎吾・白川琢麿訳『象徴的分類』(1993・みすず書房)』▽『松永和人著『左手のシンボリズム』(1996・九州大学出版会)』